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PERCHの聖月曜日 70日目

美術鑑賞の方法は色々あるだろうが、私の経験から言ふと、總て自分の實感に頼つて、それで素直に理解し、段々に進んでいくのが一番安全な正しい方法だと思ふ。最初から美術史に頼つて、これは有名な繪で、立派な作ださうだといふので、本統にそれが、自身の力で理解消化されないままに通過し、進んで他のものへ鑑賞を移すといふやり方は進歩が速いやうに見えて、實は空洞を残し、又後もどりして、それを埋めなくてはならぬやうな事になる。このやり方では自分の勘が養はれない。

美術研究家といふものは色々細かい事を知つてゐて、それをう精しく本に書くので、読者は美術を理解する為めにはさういう事まで一々知つて置かねばならぬのかという気になり、色々な事を「知る」に急になつて、作品そのものから直接「感ずる」事が疎かになる。それは鑑賞の本道ではない。研究家にとつて必要な事が必ずしも鑑賞家にとつては必要でない事も幾らもある。誰れも彼れも専門家の真似をして、部分的な細かい事を知らうとし、到つて大切な事を見落してゐるやうな場合がよくある。

(中略)

自分の勘を正しく、段々に発達さすやうにするのが一番いい。然しそれには相當永い年月がかかるが、それで得た鑑賞力は本物で、借りものではないから、他の美術の鑑賞にも應用が利き、少しづつでも進む楽みがある。

私は子供時代からさういふものに比較的興味を持つてゐたが、さりとて、鑑賞に勝れた勘を持つてゐるといふ方ではなかつた。特に色に對する感覚は普通の人より鈍い方で、色彩は自分には分らないとあきらめてゐた時代もあつたが、年と共に段々それが分つて来た。分つて見れば、それは分らなかつた頃には知る事の出来なかつた喜びである事に気がついた。

ーーー志賀直哉「美術の鑑賞について」『世界』59号,岩波書店,1950年,p90-91

The Angel Appearing to Zacharias
William Blake
1799–1800

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