「その千円がお前を殺す」
自転車で家から5分のコンビニまで雨が降る中、今日だけで5回は往復しただろう。全て、住民税、先月の25日に払えなかった携帯代をどうにか競輪で10万にするためである。先月の月末に入った給料6万(前借りを12万しているため)も同じことをしようとして結局全損した。昨日1日にキャリア決済枠7万を現金化業者に依頼して63000円に現金化してもらった。ワイド1.0に全てを賭ける勇気がなかったからだ。しかしそこからどうにかして10万に増やさねばならなかった。結果、今日また63000円全て失った。先月と合わせて12万以上失っている。iPhone16を購入できるくらいの額である。どうして一万や二万残しておかないのかと思う読者がいると思う。それに答えるとするならば例えば100万持っていて90万負けて10万残して(あー楽しかった。)など思える人はある意味賢くて、ギャンブルのセンスがあると言っても過言ではない。
大体のギャン中は90万も負けているのならどうせ全て溶けるのを悟りつつ、残りの10万で90万負けを捲れるように張るのである。しかしそれがうまくいく可能性などほぼない。だが自分はそれで2,3回どうにかなったことがあった。ギャンブルに救われて支払いができたことが何回かあった。その出来事が今回のようなことを起こす原因に繋がってくるだろう。
端的に結論を書くのならば、90万負けて10万残してキッパリやめれるような奴は結果論的にこんな多額の借金を抱えることにはならないのだ。
何回こういうことをギャンブルを始めたここ3年で繰り返したのだろうか。確かにギャンブルは楽しいし興奮する。それはそこそこ大きな金額が的中したり、自分が穴で狙った選手が4コーナー回って1着になりそうな瞬間だったり人様々だと思う。日常のつまらない退屈な時間を潰してくれるのは、趣味のない自分にとって競輪しかなかった。逆説的にいえば趣味が競輪しかなかったのである。
誰かが言っていた。
「ギャンブルで得た「特別」は、ギャンブルで損をする「日常」に「現実」に収束していく。」と。
その通りだと思う。なぜストレスをお金を払ってまで買わなくてはならないか。依存症なのはもうわかりきっている。だけど賭けるのをやめられない。それは苦しくて、精神の自傷をしていると言ってもよいだろう。
現在26歳。来年には27になる。それなのに未だに日払いをもらい、車も持てず、ペイディを長期滞納して異動になったため、いわゆるブラックでクレジットカードすら持てない。同級生は、仲の良かった友達はここ1、2年で結婚ラッシュを迎え、今は「子どもが生まれました。」とインスタの投稿でよく目にする。比べても意味のないはずなのにどうしても比べてしまう。彼女すらいない自分と彼らとを。親を幸せにできず、むしろ泣かせてしまう自分の不甲斐なさを。
貴重な20代は全て借金返済をしている間に終わってしまうだろうという直感を拭っても拭いきれない。時間は戻ってこない。そんな当たり前なことをひしひしと痛切に感じる。三十まであと四年もない。時間もお金も無駄にしすぎた。
普段、自転車を使いながら、自転車のギャンブルをして借金を自転車操業をしている。この生活に終止符を打つしかない。今までこう言った類の覚悟は無限としてきた。winticketのアカウントだって3回は削除した。しかしそんな覚悟では覚悟だけではどうにもならなかったことを身を持って証明している。
割り箸が買えずコンビニでうまい棒を買って、「すみません。割り箸とスプーンをください。」と今日、店員に言ってしまった。恥なことなのに恥だとか考えている暇がない自分を軽蔑した。
四年前の夏、僕はニートだった。
なんjを見ているとやたらtipstarを招待するスレが
建っていた。それが競輪との出会いだった。そこでスレ主が明日のガールズの児玉は鉄板や!とレスしていた。tipstarはその頃はリリース直後でやたら羽振りがよく、アカウント作成だけで軍資金3000円くらい貰えたような気がする。
次の日、児玉を頭にして、確か児玉は一番車だったから1-2-4に500円賭けたのを今でもよく覚えている。八倍くらいだったかな?5枚で4000円。ニートだった僕はものの1、2分で3500円稼げたことに驚いた。その日はトータルで一万くらいビギナーズラックで勝てた。今、思い返せばここで当たってしまったのが勝ってしまったのがこの先、三年の人生を破滅に向かわせてしまったのかもしれない。
そこからtipstarでよく乞食をしていた。
あの頃は毎日100円以上ばら撒いていた記憶がある。
しかし、2021年の冬に、楽天カード10万とキャリア決済10万、合わせて20万も負けてしまったのだ。そして僕は死んでも働きたくなかったが覚悟を決め社会に出ることとなった。しかし今では本当に働いて良かったと思っている。あのまま、ニートのまま今の年齢になっていたら、今のこの状況よりもやばかったような感じもする。いや、借金のない26才ニートの方がまだマシなのか?
まあ比べても50歩100歩というところか。
そんなわけで僕が今、社会復帰できている(非正規ではあるが)のはある意味、競輪のおかげなのだ。そういう点では競輪に感謝しなければならない。ありがとう。
久々にこんな長い文章を書いた気がする。
少しだけスッキリした。心が軽くなったような気がする。やはり文章を書くのは好きだ。ここまで読んでくれた人はいるのだろうか?
最後にギャンブルはもう卒業します。まあ1000円くらいなら、その賭けた1000円がお前を自分を殺し、その1000円で1日生きることができることを忘れないように生きていこうとおもいます。
拙い文章ですが、最後まで読んでくださりありがとうございました。プロでもないのに文章でお金をもらうことには抵抗があった。しかしながら今の僕にできることはこれしかありません。ここから下は有料記事ですが僕にとって一番大切なバンドの曲が一曲だけで貼ってあるだけです。100円ですがこのノートは売れないと思います。賭けてもいいです。
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