二元論的思考について考えてみる
二元論とは
二元論(にげんろん、dualism)とは、世界や事物の根本的な原理として、それらは背反する二つの原理や基本的要素から構成される、または二つからなる区分に分けられるとする概念のこと。例えば、原理としては善と悪、要素としては精神と物体など。 Wikipediaより
Wikipediaからの引用など理系にあるまじき行為ではありますが、まあ大体合ってるので今回は良しとしましょう。
二元論的思考に基づく対立
昨今のインターネット環境の普及により、毎日色々な意見が生まれてぶつかり合っているのが見て取れます。
ただ残念ながらその質はとにかく低いと言わざるを得ず、そう感じる理由を自分なりに考えた結果、多くが議論では無く二元論的な思考に基づいた対立をしているからだと気付きました。
具体的には、
・自分と同じ考えなら味方、違う考え(同意しない)なら敵
・自分と違う考えを持っていたり意見してくる相手には敵のレッテルを
貼って評価する
・味方の言ったことは全部正しく、敵が言ったことは全部間違い
・味方がやらかしたことは隠す(或いは無視する)が、敵がやらかしたこと
は必要以上に論(あげつら)い叩く
彼らはこういった行動に勤しみながら、それを議論であると勘違いしているように見受けられました。
確かに二元論的思考は複雑な物事を整理する際には有効な考え方ですが、議論という場面においては真逆で決して物事を解決に導いてはくれないと考えています。
なぜならば人間の思考は二元論で分けられる程そんなに単純では無いからです。
"怒り"という感情
では何故彼らはそういった状態になっているのか。それは"怒り"に支配されているからと推測しています。
怒りは感情の中で最も強いもので、他の感情を塗り潰してしまいます。更に冷静さを奪い、誤った判断を誘引します。そして何より危険なのは、中毒性が高いということです。
自分が直接的に何かされたことにより生じる怒りはまだマシですが、世の不条理やらに対する怒りは当人達の「正義の心」を燃料にしており、正義の心を燃やすことは中毒性が高く離れがたい行為であるためです。
頭の良い人は怒りの感情を利用する
上記のような状態になっている人々が集まっている話題を見に行くと、往々にして特定の人物(アカウント)が火付け役になっています。
彼らは怒りの感情が上記のような特徴があることを知っています。そしてそれを利用するべく他人の怒りの感情を煽り立てるような言葉を並べます。
物事が動く時には必ず金が潤滑油のように伴い、誰かが得をするように出来ています。Xにおける有料アカウントにおけるインプレッション稼ぎなどはその象徴とも言えます。
彼らはそこまで理解しているので、怒りをばら撒き他者を動かし生じる利益を貪っているのです。
議論において二元論的思考はするべきではない
2つに分けることは相手の考えの細かな部分に対して目を向けることを拒絶しているということであり、より踏み込んで言うならば思考放棄と同義であると考えています。
解決を前提とする議論において大事なのは、同じ考えの意見ではなく自身と異なる考えをよく吟味して相違点を明確にすることです。
このため二元論的思考に基づいて相手(敵)の異なる意見を無視し、更に怒りの感情に支配されて冷静さを失った状態では、少なくとも解決に向けた議論になりません。
最近見た事例
二元論的思考に陥っている人を頻繁に見かけるのが政治関連の話題です。
その中でも特に印象深かったのが、直近あった衆議院議員総選挙の後の総理大臣指名関連での事例でした。
国民民主党が全員で代表の玉木氏に票を入れる、決選投票では無効になろうとも変えない、という方針に対して立憲民主党の某議員が「今回の選挙は自民党を引きずり下ろすして政権交代をさせることが〜(意訳)」と噛み付いたという話。
そしてそれに合わせて「実質的に自民党に利する行為」などと主張する意見が多く見られました。
私はこれこそ正に二元論的思考の極みであると感じました。
与党は敵で野党は味方、味方は全員同じ考えでないといけない、同じ考えが出来ないなら敵だと言わんばかりです。
ですが考えてみればそんなことはなく、国民民主党は与党でもなく既存の野党でも無い第三勢力として今回議席数を伸ばしたわけで、それを与党という敵に対する利敵行為だと言うのは第三勢力に入れた人々の意志を侮辱するにも等しい主張であると感じました。
現にもし政権交代を国民が真に望んでいるのであれば、そう主張している既存野党に票を入れたわけで、それが実現しない程度であるならば政権交代に対する希望はその程度であるということになります。
またこれは自分でデータを見たわけでは無いのですが、今回の総選挙では確かに立憲民主党が大きく議席を伸ばしましたが、実際の獲得票数は以前から殆ど変わっておらず、自民党票が国民民主党などの第三勢力に流れた結果として勝ちに繋がっただけというのも見かけました。
それが事実ならば、今回の選挙から学ばなくてはいけないのは自民党だけでは無いはずです。これだけ人心が与党から離れたのにそれを吸収出来ない既存野党も、議席が増えたと喜ぶ前に考えることがあるのではないでしょうか。
ですがこういったことも、二元論的思考に基づいて国民民主党は与党にすり寄っているなどと評価しているうちは、いつまでも行われないのだろうと考えています。