20241113-01松岡正剛さんと遊ぶ
めっちゃカッコいい本。
そんな本のことをAmazonのブックレビューに書いた。
既知であったはずのセンテンスにいくつか出会うけど、それでもすべてが新鮮だ。自分の思いを忘れないうちにと乱暴に書き込む内容もまたあのころと違っているんだろう。当たり前だけど。
本の内容は変わらないけど、読み手の感覚が変わるから本は何度読んでも新鮮だ・・・ということも、松岡さんに教わったことのひとつ。それを実感しながら遊んでもらっている。
松岡さんから遊びに誘ってもらえたそもそものきっかけは以下の本。「人生を変えた一冊を挙げよ」と言われたら迷いなく挙げるのがこの本。この本を買ったときの状況なんていまだに鮮明に覚えているほど。
会社でイヤなことがあって、そんな嫌な思いを解消するために最寄り駅にあった本屋に救いを求めるかのように入った。私にとっての本屋はそんな存在。そこで「読んで」と手招きしてくれたのがまさにこの本。発刊当日だった。帰りの電車の中でむさぼり読んだ。帰ってからもむさぼり読んだ。それから何度も読んだ。信頼する後輩には「読んだ方がいいよ」と勧めるくらいの本。
そんな勧めを素直に受け取ってくれたラグビーのコトなんか全然知らない女性が深く読んでくれ、この本をきっかけに平尾さんを知り、やがて『理不尽に勝つ』(PHP)を読んで人生を救われたというすごい流れになったりもしたそのきっかけとなった本。
読みすぎて書き込みすぎてボロボロになったので、今年偶然に見つけた下賀茂神社の古本市で再購入したほど。そのときも手招きしてくれた。それくらいの本。
この本で初めて松岡正剛さんを知った。それから松岡さんのいろんな本に遊んでもらった。千夜千冊にも松丸本舗にもお世話になった。
私はめったに後悔をするタイプではないけど、今なお後悔していることが一つだけある。もう20年以上前のことだけど、いまなお鮮明に残る悔いだ。
これを読んだときに、その悔いがまざまざと思い出された。
前記の『イメージとマネージ』を読んで「自分はいつか平尾さんと知り合う」と確信めいた妄想が奇跡のように実現し、平尾さんと深い交流ができるようになったある日のこと。「今度松岡さんのところに遊びに行きませんか」と平尾さんに誘ってもらった私は、あまりにもの畏れ多さに断ってしまった。
だって、もう平尾さんと知り合えて深い交流ができるようになった僥倖でおなかがいっぱいになっていた私は、それ以上のことをしてしまうとなんだか罰が当たりそうに思って「畏れ多い」と断ってしまった。いや、ほんとうに。
あのとき、「是非に!」と言えなかったのは、おそらく聞こえないことでコミュニケーションのことを咄嗟に心配したこともあったのだろうと思う。だけど、「フラジャイル」を教えてくれた人なんだからそんな心配は無用だったはず。こんなことで遠慮してしまった私をあれから悔いたのなんのって。その悔いだけで一冊の本だって書けそうなほど。
いつかまたチャンスはあるだろうと思っていたら、大切な恩人を二人共失くしてしまった。私は、松岡さんや平尾さんが遺してくれた本や言葉に遊んでもらいながら、こんな後悔をしちゃだめだよ、チャンスがあったらどんどん飛び込めと若い人に伝えたりしながらこれからも遊んでいくよ。それが私の寂しさを紛らわせる方法。
ここでは松岡さんの本に、初期の『遊』という本のタイトルに、それ以外のことにも敬意を込めて「遊ぶ」という表現をさせてもらった。
付記
著作権に触れるので転載はしないけど、P.69にある「松岡正剛からの手紙(高山宏宛)」を見てびっくりした。平尾さんの字ととてもよく似ているんだ。
ユリイカ11月号(第56巻第13号)P.69