20241107-1常石勝義というパラアスリートのこと
今からもう20年も前のことになる。
2003年に「中山グランドジャンプ」という障害レースの最高峰のレース(G1)のひとつをビッグテーストというお馬さんを導いて勝ったのが常石勝義というジョッキー。福永祐一、高橋亮調教師や細江純子さんというTVでよく見るホースコラボレーターという元騎手と競馬学校同期の人。その期を花の12期生と言ったりもする。和田竜二、古川吉洋、柴田大知はいまなお現役騎手。そんな世代の一人。
常石さんは、その後レース中の落馬で高次脳機能障がい(ご本人の表現のとおり「障がい」と表記)を負いジョッキーを引退、リハビリを続けながら、パラアスリートとして活動中。今日知ったのは、現役の高校生でもいらっしゃるとのこと。
ご本人のポストで知った写真展に行ってきた。
会場はこじんまりした素敵なカフェ。ランチのパスタセット(コーヒー、ケーキ付)はおいしかった。会計後に店主と奥さまが出口まで見送ってくれる気遣いも素敵だった。
障がいは、僕の個性!!
そうですか。その思いをもって生きていらっしゃいますか。うんうん。そのとおりです。
私は「障害個性論」には安易に与したくない立場なのだけど、当事者が言うならそのとおり。そこまでの話。
私が安易に与したくないと思うのは、当事者ではない人の善意の「障害個性論」が幅を利かせているから。たとえば、障害を受け止めきれなくて苦しむ当事者に「障害は個性なんだから」とそれを強いたりすることがある。善意なだけにやっかいで、善意の強要は避けたくて、いつのまにか安易に与したくないと思うようになった。
そんな私だって「障害個性論」に救われたことはたくさんある。だけど障害個性論は難しい。同じように障害の受容論も難しい。難しいけど考え続けていかなければならないテーマ。当事者にとってもとても複雑で難しいテーマなのに、どうして当事者ではない側が安易に「個性」だとか「受容」だとかいうんだろうね。
そんなことを考えるために個展に行ったのだけど、もちろん今も考えているからこうして書いているんだけど、それ以上に「常石勝義というジョッキーがいたんだよ」「今はパラアスリートでがんばっているんだよ」そんな思いが強くなって、彼のことを知ってほしくなって、競馬ファンの端くれとして書いた。
障害受容論について蛇足を。
ときどき「障害を受容できているかどうか」を聞かれることがある。「状況による」としか答えようがないのが率直な思い。そんなモヤモヤ感を抱えている私は、ラグビーで脊髄損傷し重度の障害者となった後輩がこんなことを言ってることを知ってうなった。「障害を受容できているかどうかというよりも、現実問題として障害を負っているんだからそれを前提として、工夫しながら生きるしかない」と。そのとおり。
そんな思いを従容(しょうよう)という。ありのままに受け入れること。受容論を超えたところにこんな思いあることを、こんな落としどころもあることを知ってほしくて蛇足を承知で書いた。