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自己紹介

私は20年以上、スピリチュアルの世界や成功哲学、自己啓発に関する情報に触れてきました。

それほど長い間学んできたなら、今頃は大成功していてもおかしくないと思いますよね。

でも、お恥ずかしながら、最近になってようやく少しずつ人生が楽になってきたと感じられるようになりました。

「20年もかけてやっと変化を感じられるようになったの?」と驚くかもしれません。

その変化も劇的なものではなくて、ほんの少しずつなのですから、さらにビックリされるかもしれませんね。

これまでの私は知識が増えても現実は変わらず、楽になるどころか得た知識に縛られて苦しみが増していきました。

皆さんはそんな経験ありませんか?

私の場合、0か100かの極端な性格が災いしました。

自分勝手で周りのことなど一切気にしない自己都合主義で生きてきたのですが、スピリチュアルとの出会いで考え方が180度ひっくり返ったのです。

ポジティブで正しい心の聖職者のようにならなければいけないと思い込み、ネガティブな思いに蓋をして自分の本音を無視し続けていました。

これによって、いつの間にか自分の本音が分からなくなりました。

不平不満がうごめいている内側に気が付くことなく、自分はメチャクチャいい人間だと思い込んでいた時期もあります。今となっては赤面ものですが…

表面的な自己評価はいい人のはずなのに、なぜか人間関係や色々なことが上手くいかない。

拗らせに拗らせた結果、「私は人間が嫌いなんだ。だから友達が少なくても全然平気!」と自分を納得させていました。

自分の本音すら分かっていなかった私は、得た情報の表面的な部分だけを取り入れて上手くいかず、長い間苦しんでいたのです。

見えない世界には絶対的な法則があると言われています。

俗に言う、自分の概念(思い込み、思考)が自分の現実世界を創り出しているという法則です。

それは重力や空気の抵抗のように、当たり前で疑いようのない事実として存在しています。

私がその法則を活かせなかったのは、第一の段階に入る前に必要な自己受容が不足していたからでした。

皆さんは、ポジティブな自分もネガティブな自分も受け入れて許せていますか?

私はさまざまな試行錯誤を経て、「自分のどんな部分も(ポジティブもネガティブも)あっていい」という考えに出会えたことで、ずっと隠していた部分に目を向けることができるようになりました。

そして、自分が否定していた部分も少しずつ受け入れていくようになると、自然に自分を愛でる気持ちも(否定していた部分も含めて)少しずつ芽生えてきたのです。

これが私の人生に変化が表れ始めたポイントで、ある程度の自己受容と自己肯定が進むことで法則にのるための準備が出来るのだと実感しています。

例えば、花が咲くためにはまず根がしっかりと土に張り巡らされていることが必要ですよね。

どんなに美しい花でも、根が弱ければすぐに枯れてしまいます。

私たちにとっての自己愛は、その根にあたる部分だと思うのです。

自己愛という根がしっかりと張り巡らされることで、ようやく人生の変化という芽が成長し始めるのではないでしょうか。

私のnoteは【人生がほんの少し前進し始めたばかりの私の経験や情報を通じて学んだことを共有していく】というコンセプトです。

以前の私と同じように悩みつまずいている人が一歩前進するヒントになるような記事を書いていきたいと思っています。

私もまだまだ拡大の途中なので、一緒にもっと人生を楽に楽しんでいけるように挑戦していきませんか?

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