『逃げも隠れもしねえフルフェイスだ』
2,000文字程度です。
コーヒーでも淹れてからご一読ください☕︎
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大前提
人によって違う考えがあることが当たり前です
その上で男女について書きました
男がとか女がとかそう言った話は
人それぞれで意見があると思います
この性別についての話は
誰もが関心を持たざるを得ない話しだと思います
なぜなら全員に当てはまるから
そしてみんなそれぞれに実体験があることだから
男だからいい思いしたことある
女だからいい思いしたことある
男だから嫌な思いしたことある
女だから嫌な思いしたことある
皆がそれぞれになにか抱えてるはず
どっちの方がなんてくだらない
ですがはっきりいって
日本という国は
まだまだ男性が性別だけで
優位にある国だと思います。
男性社会であることは事実
私は男も女も平等
その上で何か秀でたものを示していきたい
※私は男なので男を先に文章を綴ります
ですが、言葉の事実として
ある本の文章を引用します
『独立した個性が一緒になった夫婦であっても、
いったん社会という人間集団の場に出ると、
一方は「主人」となり他方は「家内」となる。
社会に対するときは、
主と従という関係を示す結果になっているの
である』
いまある常識
性別による偏り
ここはなかなかに変わらないと思います。
女の人でもカッコええ人います
ってこれがもう女の人がかっこいいって
珍しいみたいな
かっこいいってのは男の言葉であるような
男の人でも可愛い人もいます。
これも、もう
可愛いっていうのは女の人の言葉
とか言い出したらキリがない
【品性】の話じゃないかと思うんです。
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電車で化粧してる人見たことあります。
「時間がないから、男は化粧しなくていいから」
とか言い出したらキリがない
車で出勤中
車の中で髭剃りしてる人見たことあります。
対比とかじゃなくて
これどちらとも品性に欠ける行為ですよね。
人目を気にする。
自分だけのプライベートな空間を抜ければ
そこは全て全ての人にとっての共有される場であり
公共の道も
電車の中も
他の人がいるんです。
髭を剃る男性も
化粧をする女性も気になって見てしまう
まじまじと見たり気になって見てしまう
その行為がもう下品
けれどまじまじと見ないにしても
見ないようにさせるという
その選択肢を与えることこそが
品性に欠ける
なんでもありになってしまう
大人になるにつれて
品格
というものが備わっていくものだと
けれど果たして現代はどうか
動物じゃないんやから
人目憚らず
欲のままに
欲求を満たすのは
品があるでしょうか?
欲のままに公共の場で何かを貪り食う
お腹が空いたからとところ構わず
食事をする
例えば
会社内で、街中で、電車で
先日ふと寄ったカフェで
(奈良県桜井市のフォーティファイブというお店、
ご主人が45歳の頃オープンしたから
45フォーティファイブだそう。
日替わりランチが絶品で
ドリンクもついて900円でした✨✨)
気さくにお話ししてくださった
今年、71になるお母さんの話
会社勤めの頃
入社早々に
社内でものを食べながら歩いてる男性がいて
当時のお母さんのデスクの横を通った
お母さんは注意をした
「食べながら歩くのは行儀が悪いですよ」と
するとその方は
副社長だった
けど関係ないとお母さん
誰であろうと歩きながら何かを食べるというのは
行儀が悪い
行儀とは説明できますか?
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また性欲のままに
男性が街行く女の人手当たり次第に声かけて、
手を出してたり
女性が所構わず腰振ってアピールしてたら
どうですか?
これもナンパは男性
腰振りアピールは女性
という決めつけ
けれど大半の印象はそうでしょう
そんな人がいたらどう思いますか
プライベートの空間ならいいと思います
好きにしたらいい
双方の合意の上で
けれど品性に欠ける。
なにかこんな言葉も流行の様に感じます
眠たいからと所構わず寝る
大きな公園のベンチで寝たり
そんなんは最高だと思いますが
某飲食チェーン店
少しのメニューを買い長居する
というより寝る
24時間営業だからと
電車やコンビニ
はたまた街中で
股をひろげ
足を上げて
人目を気にせず寝る
寝顔を見せるというのはどういうことか
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「恥を知れ」
石丸さんが数年前にこんな言葉を吐かれましたね
まさに
恥とはなんでしょう
恥知らずとも言いますね
『恥の多い障害を送って来ました。』
という一節もありますね。
恥だと認識できるかどうかも含めて
恥を恥だと思わない
そんなこともあると思います
真田幸村の言葉に
『恩義を忘れ、私欲を貪り人と呼べるか。』
とあります
「受けた恩義よりも、
金や身分などの欲に溺れる者は
果たして人と呼べるだろうか。」
ということです
人が人じゃなくなっている
平気で人の心を踏み躙り
裏切り
傷付け
なんとも思わない
人にあらず
僕は人でありたい
人に寄り添い合い
共に笑い
共に泣き
共に喜べる
そんな人達と共にこの人生を歩んでいきたい
ただ、心のある人でありたい。