2024年で一番病んだ日に
こんにちは、くろぃろです。
私が去年で一番病んでた2024年9月11日に個人的に書いた日記です。自分の日記は、人に見せないことを前提としているので、文体が変になっているところが多いんですが。
最近までは元気だったのに、急に精神が不安定になって、普段できていたことがまったくできないようになってきた。作曲とかしなければいけないのに。どう考えても精神が不安定になるのは自分のせいなのに、人のせいにしたくなってしまう。そんな自分が更に嫌になるし、更に無気力になって、サボり癖が酷くなる。普段の私は、「人に迷惑をかけてしまって申し訳ない」とか何とか言ってるはずなのにね。思いっきり矛盾してるね。終わってるね、私。
今日も布団に寝たきりで、スマホの画面を眺めていると、日没を迎えていた。果たしてこんな私が生きていて意味があるのだろうか。資源や食料、電力を無意味に使うだけ使って、何にも生産しない私なんて、居なくなってしまった方が社会のためなのではないだろうか。今私の机の上に置いてあるカフェイン錠をすべて飲み込んで、カフェイン中毒で死んでしまった方が良いのではないだろうか。
とまあ、そうは言うものの、やっぱり自殺するのは怖い。小学校でいじめを受けていた頃から、何百回、何千回と希死念慮に苛まれてきたが、中途半端にしか自殺未遂をしてこなかったのは、そういう理由だ。きっとこれからの未来も、希死念慮に苛まれ続けて、自殺未遂をするのだろうけど、結局成功させられずに苦しみ続けるのだろう。その苦しみを少しでも隠すために、リスカを繰り返してきたんだし。ただ、今はリスカでさえする気力が起きない。
唐突に私は一つ思ったことがある。鬱鬱とした精神状態の時こそ、私は文章が書けるのではないのか。ということでこの文章は書いているのだ。
どんな文章を書くか考えていると、藁人形が目に入ってきた。この藁人形は、ユメステの大黒ちゃんを狂ったように推していたときに作ったものだ。そのせいか、藁人形を見ると自動的に脳裏に大黒ちゃんが現れる。それにもかかわらず、思いっきり釘を打ち付けてやろうかな、と思ったけど、髪の毛入れてないからただただ釘打ち付けているだけな気はする。嫌いな奴の髪の毛集めるかあ。藁人形作れるだけ作ろうかな。嫌いな奴一人一人に、個別の藁人形を用意してあげないと可哀そうじゃんね。
はあ、死にてえー。何考えても、「死」しか頭に浮かんでこないよー。誰か殺してくれえー。けどやっぱり死ぬのは怖いや。藁人形に自分の髪の毛突っ込んで、釘刺してやろうか。あー、しんどい。なんだかなあ。やっぱり、暇すぎるのもこれはこれでしんどいかなあ。まあ、全然暇ではないんだけどね。しなきゃいけないこといくつもあるしね。まあ、それはそうとして、今すぐにしなきゃいけないことは無いし。あーガチで、なんにも気力が出ねー。最近はずっと、何で私生きてるんだろうなっていう考えが脳内を支配し続けているし。何かこういう病み系の話を何かまとめて、小説みたいにしてやろうか。どちらかといえばエッセイか。というより、夢小説とか書いてこうかな。
今日もリスカしちゃった。許してほしい。誰に言ってんだろ。今日もちゃんとお薬飲み切った。私薬1錠ずつしか飲めないから複数錠飲むの普通に大変なんだよね。若干頭がふらふらしてきたかも?なんというか、熱39℃ぐらい出た時の頭のボーっと感に近い気がする。薬飲む量間違えた可能性ある?って思ったけど、別に薬減ってる量普通だしなあ。
何も考えられない何も分からない
何もわからない。何もわからない。
ここ数時間の内容が何十倍もの長さに感じる。
この世界のすべてを理解した気分に苛まれる。
この世界とは何か。私が生まれた理由とは何か。
そんなことを考える度、私の未熟さを感じてしまう。
とまあ、以上が1500字ぐらいの日記?でした。文章量に対して、言ってることは「私って生きている意味なくね?」って感じですね。
まあでも、まだやり残したことがたくさんあるから、まあ生きてはいたいんだよね。
だから、自分の考え「私って生きている意味ない」と「やり残したことがあるから生きたい」って二律背反が起こってるね。自分の考えって複雑だし、まあ仕方ないか。