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何をしても物足りない。「これじゃない」思考からの脱却。

私はすでに全部持っていたんです。
健康な体
健全な心
心躍る環境
心安らぐ場所
愛してくれる友人
愛してくれる父母
愛してくれる子供たち
愛してくれるパートナー

いつもなにか物足りなくて、確かめて、安心できなくて、そのままの自分でいることを自分に許してあげられなかった。

いつも人の顔色を伺い、人に合わせて疲れる。でも人に会いに行く。
誰かの価値観に合わせて生きる自分でいることが安心だったし、合わせるほうが楽だった。

でも結局は自分に嘘をついているから一定期間が経つとボロが出て、疲れて、自分でシャッターを下ろす、みたいなことを繰り返してきた。

「あなたはどんなあなたでも大丈夫、愛してるよ」
そんな言葉を求めていた気がします。

なが~い反抗期でした。
思い返すと、小学6年生までは自分が好きだったし人生に満足していた気がします。
13歳~37歳まで、自分を好きになれずアイデンティティを失って生きていました。

アイデンティティを失った中学生


小学6年生。
近所の中学校が荒れていて、あそこには絶対に行きたくないと思いました。母が調べてくれて中学受験というものを知り、中学受験することを志しました。母いわく、あなたの口から初めて何かしたいと希望を聞いたとのことだった。たしかに、いつも家族の目線が気になって察して生きていたような気はする。

憧れの第一志望に受かり人生で1番嬉しい瞬間でした。

しかし大きな喜びの直後、大きな挫折を味わいます。
努力して努力して何とか合格した憧れの志望校。
しかし周りの子たちは
「本当は〇〇に行きたかったけど落ちたから仕方なく来た。高校からは〇〇に行くつもり。」
というのを聞いてびっくり!え!みんな来たくて来たわけじゃないの?と。

私ってめちゃくちゃ平凡な人間だったんだ


小学校ではスポーツも勉強もできてもてはやされていた自分が、ぜっっんぜっっん超~~~~~平凡な人間だったんだと知って、衝撃だったんです。
(大きな挫折ってこれ?ちっっっっっっっっっっっっちゃ!ですよねはい笑)

スポーツ万能な美少女、不真面目に見えて成績超優秀な子、めちゃくちゃお嬢様なのに気取らない子、桁違いのすごい人がこの世にはたくさん居たんだ、、、と知り、自分のアイデンティティを失います。
勉強ができない自由奔放で自虐的なオモシロ女子。中学で絞り出した新たなアイデンティティはこんな感じでしたかね。37歳までこの超中途半端なキャラ設定を引きずります。恐ろしいですね。
非行に走ってみたり、先生を困らせてみたり、親を困らせてみたり…
色々やったけどどれもしっくりこないし、自分の個性は失ったまま。

なりたい職業もなし。自分の声を無視して生きる日々


中学高校で「なってみたいな」と思った職業は弁護士、建築家、デザイナー。しかし自信を失っている私はどの職業も「自分には無理無理」と諦め自分の声を無視して生きる日々。ギリギリ受かりそうな学校を9校ほど受けてなんとか受かった大学に進むことにします。
本当は大学も行きたくなかったし、でも大学以外の選択肢も探さなかったし、何がしたいとかもなく、無気力な大学生の誕生。
大学は留年し6年通いました。もはや卒業する意味もわからなくなってたし、就職もしたくなかった。

そんなに嫌なら全部やらなきゃいいのに、シラフの私が「とりあえず大学には行っておいたほうがいいんじゃない」とか「とりあえず就職はしておいたほうがいいんじゃない」と言うんですよね。

要するに、無難じゃない人生を選択する勇気もなかったんです。

とにかく「どんなあなたでも大丈夫」そんな言葉が聞きたくて留年したり就職してもすぐ辞めたり親を困らせ友達に笑ってもらう日々が続きます。

恋愛もこじらせますが、26歳で今の元夫(変な表現ですよね)に出会い結婚。10年経ちますが、彼と結婚したことは私が私に戻る大きなきっかけをもたらしてくれました。

私はこの20年ほど、自分に都合の良いことを言ってくれる人と付き合っていたし、私のことを否定しない人と関わっていました。このへんはいまだに噛み砕けていないのですが、自分が自分らしくないことは痛いほど自分が1番わかっていて、それでもその自分を貫きたくて、正当な意見を他人には言われたくなかったのかな。
んー。

とにかく夫は、私にとって耳が痛いことをたっくさん言う人です。見方によっては敵になります。
それで離婚もしました。

離婚してあらゆるものを手放し、残ったものは変わらない自分だけ。
嫌でも自分と向き合わないといけなくなりました。

結局、ないものを数えていたんですよね。持ってないもの、足りないもの、そればかりに目を向けていつも満足できてなかった。
でもあらゆるものを手放して、母も倒れて、いざ目の前を見てみたら、あるもので溢れていることに気付くんですよね。

なんだそのままで良かったのか、と。
すでに持ってたんだと。

これを体で掴むのに、本当に時間がかかりました。
しかし人間はそんなにすぐには変わらないので、また「足りない足りない」になるのかもなぁ。
そんな時はあるものを数えてみようと思います。

ぜひあるものを数えてみてくださいね。
やみママ

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