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素顔の時間があるならば、被ってみたい仮面を着ける時間があってもいいかもね。

今年に入ってから、ほぼ毎日ヨガを続けています。
朝に10分、夜にも余裕があれば17分ほど。
まだ1ヶ月半くらいですが、「朝の体は固まっているな」と感じられたり、「夜にヨガをやる時間は、1日の緊張をほぐす時間だな」と思ったりします。

皆さんには、1日の中で「自分自身に戻れる時間」はありますか?

今の僕にとっては、「ヨガをする時間」が「自分が自分に戻れる時間」の一つになっています。
そんな時間が確保できるならば、「被ってみたい仮面」を着けてみてもいいのかもしれない、そんなふうに思います。

仮面を被ること。
そこに対して、どんなイメージがあるでしょうか?
被りたくない仮面は被らなくていいし、被らされる仮面にはNOと言ったり、そっと捨てたりしてもいい。
でも、「被ってみたい仮面」があるとしたら?

「私らしさ」の仮面

「私らしく」あること。
それは、ある意味では「私らしさ」の仮面を被ることなのかもしれません。
「らしさ」とは、他者との比較の中で生じるものなので。
『自分の持ち味を発揮すること』が、必ずしも『「私」でいられること』とイコールではないのだと思います。

憧れの仮面

「ありたい姿」を体現していくとき、壁になるものの一つに「恥じらい」があると思います。
現状とのギャップにおののいて、諦めてしまう。
でも、そこに「仮面を被る」という方法があるとしたら?
憧れの姿を、「仮面」として体現してみるとしたら、ハードルが下がるように思います。

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仮面は、「仮面」。
被っている自覚をなくすのは危険ですし、仮面を外す時間も必要です。
仮面を外す、素顔でいられる時間を確保できるからこそ、「被ってみたい仮面」も出てくるのかもしれません。

皆さんには、「被ってみたい仮面」はありますか?
また、仮面を外して「自分自身に戻れる時間」はどんな時間ですか?

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岩堀暉久
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