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マチュ・ピチュ住民の声を聴け②

1998年、あこがれのマチュ・ピチュに辿り着いた僕は、その夢の場所でプチ遭難した。「プチ」と書いたが、よくよく考えると、結構まずい状態だったかもしれない。まあ、事なきを得たので、のんきにNOTEに書いているのだが…。

①で書いたように、マチュ・ピチュがどんな性格の都市であったのか、ほとんど解明されていない。そしてどんな住民が暮らしていたのか。男女比は?子どもや老人はいたのか?、家族ドラマや恋愛ドラマが生まれる空間だったのか?

僕が実際にその場で感じたのは、「住みやすそう」「なんか落ち着く」だった。

住居エリアは、ちょうどいい高低差が、ちょうどいい感じのかわいい階段で連結されていて、迷路的な構造にわくわくする。窓から顔を出して、ご近所さん同士が「今日も暑くなりそうね」なんて挨拶してただろう。

インカ帝国の心臓である、首都クスコよりも標高が低いため、温暖で空気も濃い。ご近所さん同士、「来月クスコに戻ることになりました。ほんとお世話になりました。」「あら寂しくなるわ。クスコは寒いから風邪ひかないようにね。」なんて引っ越し挨拶もあっただろう。

神殿に続く階段は、日本の神社に似た空気感がある。日常からちょっと離れた厳かな場所に続く雰囲気。「この階段で騒いじゃだめ!」と親から怒られる子どももいたかもしれない。

精密な計算で街中に水路が引かれ、断崖絶壁の上に築かれた街なのに、あふれんばかりのミネラルウォーターが手に入る。
また、かなりの広さの段々畑も残っている。ここでとれたジャガイモやトウモロコシは、住民を養うのに十分だっただろう。谷から湧き上がる霧に育まれた作物はうまいに違いない。「マチュ・ピチュのイモを食ったら、もう、よそのイモは食えねえよな!」なんて、チチャ(トウモロコシで作った酒)を飲み、リャマのバーベキューを食べながら騒いでいたかもしれない。

そして、何より正面にそびえたつワイナ・ピチュ(写真中央のとがった山)。鳥が翼を広げて、人々の暮らしを包み込むようなフォルムだ。絶対に神の鳥コンドルをイメージしたに違いないと断言したくなる存在感がある。
人間は壁を背にすると安心できる。秘密基地で寝っ転がっているような安心感。

続く…



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