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マチュ・ピチュ住民の声を聴け③

1998年当時から、マチュ・ピチュは観光客でごった返していた。
だが、そのほとんどはクスコ経由の団体客で、戻りの電車の都合で午後の早い時間に遺跡を出ないといけない。散々苦労して辿り着いたマチュ・ピチュに数時間しかいられなくて悔しかった!という声は当時もあった。

遺跡のすぐ横には高級ホテルがあり、富裕層はそこで夜のマチュピチュを堪能しながらワインなんか飲めちゃうらしいが、僕は、自由気ままな野良犬バックパッカー。遺跡からしばらくバスで下った、最寄りの小さな村(当時はアグアス・カリエンテスと呼んでいた。 =スペイン語で「温泉」)にある安宿をキープしている。つまり、ほとんどの客が帰った後の遺跡を、独り占めできるのだ!

午後3時くらいになると、広大なマチュピチュは本当にほぼ無人になった。天下の世界遺産を独り占めにしている安っちい優越感に小鼻を膨らませ、街はおろか周辺の段々畑の隅々まで、無我夢中で歩き倒した。

そして、気が付くと、帰り道が分からなくなっていた。

太陽は山陰に隠れ、明らかに気温は下がり、マチュ・ピチュ名物の霧まで湧いてきて視界は狭まる。
深い草に覆われた段々畑の上から来たのか、下から来たのか、まったく思い出せない。耳を澄ましても、客もガイドもいないのだ、無音。

「え、これはやばくないか? アンデスの夜は寒いし、日没と同時にゲートは閉まり、ここに日本人が取り残されていることは誰も知らない…。」
鼓動は早まり、こんなに出るんだと呆れるほどの脂汗が噴き出てくる。
「落ち着け、落ち着け!」 落ち着いても太陽は逃げていき、霧は深まる。
時間がないぞ、目を閉じて自分に言い聞かせる。

「僕は、マチュピチュに住んでいる農夫だ。畑仕事が終わったから、家に帰ろう。家に帰るだけのことだ。」
目を開けて、無心で選んだ方向の石垣に手をかけて、えいやっとよじ登る。
「なんとかなる。家に帰るだけだ。」

しばらくそれを繰り返すと、ふいに視界が開けて、さっきまでうろついていた、石造りの街並みが見えてきた。誰もいないが、家の陰からだれかがふらりと「おつかれ!」と現れても不思議じゃないと思った。

ゲートに辿り着くと、蛍光色の上着を着た係員のおじさんが、「まだいたのか? もうカギを閉めるとこだったんだぞ!」と笑った。

温泉村に下る最終バスに乗り、宿にバッグを置き、夕食にピザを食べ、薄暗い温泉につかり、固いベッドに倒れこんで泥のように眠った。

続く…



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