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菜の花は、豚さんのおやつ
ばあちゃんは笑いながら「菜の花は、豚さんのおやつだよ」と言った。
大正生まれのばあちゃんは、10年以上前に認知症を患い徐々に寝たきりになり、コロナ禍がひと段落したのを見届けて亡くなった。大往生だった。
親戚がほとんどいない僕にとって、母の母であるばあちゃんは、子どものころからスペシャルな存在だった。
母の父、つまりばあちゃんの夫、つまり僕のじいちゃんは、50年以上前、僕が生まれた直後に壮絶な闘病生活の末、亡くなった。生まれたばかりの僕に会うために、ぼろぼろの体を引きずるようにしてバスを乗り継ぎ、病院まで来てくれたそうだ。
一家の大黒柱を亡くしたばあちゃんは、生きるために米を作り、小さいながら養豚業も始め、命がけで家族を守った。
少年時代の僕にとって、年に数日、ばあちゃんの家に泊まりに行くのはスペシャルな体験だった。ばあちゃんはハイカラで物知りで、テレビを見ながらイケメン若手俳優に「ほんと男前だねえ」とつぶやき、星空を見ながら孫に「スバル」という星々の名を教えてくれた。
ばあちゃんは幼い僕を豚小屋に連れて行っては、小屋の掃除や餌やりを手伝わせた。「こうやってかわいがって大事に育てた豚さんが、お肉になって、トンカツになるんだよ。」と笑う。幼い僕は「矛盾」という言葉は知らなかったが、心の中で全力で「ばあちゃん、なんか怖い!」と突っ込んだ。
ある年の春休み、遊びにきた僕に、ばあちゃんは草刈り鎌を持たせ、「畑に行くよ、ついておいで」と言った。夏にはトマトやスイカがひしめく野菜畑になるその場所は、一面の黄色い菜の花に覆われていた。
「さあ、一輪車がいっぱいになるまで、菜の花を集めるよ!」
理由を尋ねると、
「豚さんは毎日毎日、茶色の餌ばっかり食べてるだろ? この黄色い菜の花は、ふわふわで甘くて、豚さんのおやつになるんだよ」と笑った。
ばあちゃんが、いよいよだめらしい、ここ数日がヤマだ、という知らせが入り、僕は病院に駆けつけた。コロナ禍の前から、ばあちゃんは心臓が動いているだけの状態になり、目を閉じ会話も不可能な状態だった。それでも強靭な生命力でコロナ禍を乗り切ってくれたおかげで、僕は病室でばあちゃんのベッドまで会いに行けたのだ。15分程度の面会時間の間中、僕は思い出話をしゃべり続けた。その時、ばあちゃんは一瞬だけ、しっかりと瞼を開けてくれた。意思も感情も読み取れないほどの一瞬だったが、確かに僕と目を合わせてくれた。次の日、ばあちゃんはじいちゃんのもとへ旅立った。
もうすぐ三回忌だ。菜の花畑で笑う、長靴のばあちゃんに会いたい。