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神のお宝を盗め!~ポトシ銀山②
人類史を大きく左右した、ポトシ銀山。
コロンブスのアメリカ大陸到達からわずか50年ほどの1545年。アンデス山脈の片隅に、奇妙な小さな山(赤・茶色・黄色・黄緑などなど様々な鉱物が発色し、山肌がカラフルにグラデーションされている)に、莫大な量の銀脈が眠っていることが発見された。
この山は、のちにCerro Rico(セロ・リコ 富の山)と呼ばれる。
「世界の果てに、未知のお宝が、取り放題の状態で存在している。」という圧倒的な事実。砂糖の山に群がる蟻の大群のように、ヨーロッパから征服者が殺到し、苛烈な植民地主義が暴走し始める。
ポトシ銀山で命を落とした人間は数えきれない。
強欲な征服者たちによって、多くの奴隷(インディヘナ系、アフリカ系)がこの地獄の入り口に連れてこられ、地下に放り込まれた。
彼らの命と引き換えに採掘された銀は、征服者たちに一生かかっても使い切れない莫大な富をもたらした。彼らは、はるばるヨーロッパから高級家具や美術品を取り寄せ、競うように豪邸を築いた。当時のポトシは、パリよりもきらびやかだったという。
この山は銀のほかにも、錫(すず)も産出する。「ボリビア=すず」というフレーズも地理の教科書で覚えた気がする。
数百年にわたる血眼の採掘によって、Cerro Ricoの銀も錫もほぼ掘り尽くされ、閑散とした小さな町だけが残された。しかし、近年、様々なレアメタルが眠っていることが分かり、今でも小規模ながら採掘は続いているらしい。
そんな歴史の徒花(あだばな)のような町を訪れる物好きな観光客を相手に、ガイドが採掘現場の坑道内を案内してくれるツアーがあった。
当時のメモを見ると、料金は700円程度だったようで、高山病から復活した僕はさっそく申し込みを済ませ、Cerro Rico行きのバスに乗り込んだ。
学生の頃の僕は社会科が大嫌いだった。「なんでそんなこと、覚えなきゃいけないんだ?」「そんなとこ行かねえし!」「そんなやつ知らねえし!!」という、誰もが思う反感に凝り固まっていた。その頃の自分に、「お前は大人になったら、ポトシの地下にもぐることになるぞ」と伝えても信じないだろうな。
ポトシ銀山という地名を一度も聞いたことがなければ、わざわざそこに立ち寄ることはなかったと思う。自分の人生で、どんなワードが、どんなタイミングで発動するかは、誰にも、自分ですら決して分からない。だから、「丸暗記でもまず一旦触れてみる、一旦飲み込む」ことを否定しなくてもいいと思う。たとえその知識のほとんどが一生使わない無駄に終わったとしても、無意識の領域で、人生のハンドルを左右していることもあるのだから。
神のお宝を盗め!~ポトシ銀山③…に続く