マゼランは地図を持たない①
南米大陸と南極大陸が出会う場所、そして大西洋と太平洋がまじりあう場所、マゼラン海峡。
フィン・デル・ムンド(スペイン語で、「この世の果て」)と言われるパタゴニア地方の、最南部に位置するフエゴ島の、ウシュワイアという小さな町。人間が町と呼べる規模で日常生活を送ることができる世界最南端。町のいたるところに、はっきりと「この世の果て」と書いてあるのが潔い。この場所で力強く生きる住民たちの鼻息を感じる。
場所が場所なだけに、世界中から物好きなバックパッカーが訪れる観光地でもある。
1997年、その一員として町をうろついていた僕は、「ペンション・ウエノ」に泊まることにした。
当時、上野さんという日本人老夫婦が宿を営んでいた。とても居心地のいい、五右衛門風呂が名物のこじんまりした宿で、南極海でとれたカニやウニがてんこ盛りの海鮮丼は絶品。
明治時代から1970年代ごろまで、日本から南米に移民として渡るという人生の選択肢は、それほど突拍子のないものではなかった。
「貧しい農村生活から抜け出すために」「戦後焼け野原になった日本に見切りをつけて」「ロマンを求めブラジルの牧場王になるために」「まとまった金を貯めるために、数年だけ出稼ぎに」。時代によって、人によって、気合の濃淡はあれど、多くの日本人が太平洋を渡った。
夕食後に、「田舎の実家」にしか思えない居間で、日本茶を飲みながら聞いた話では、上野さん夫婦もその中の一組として、夢をかなえるため地球を半周した。ブラジルから始まり、夫婦で支えあいながら子どもを育て、南米各地を転々とした後、「この世の果て」に落ち着いたという。時々訪れる旅人の相手をしながら、暇があれば港で釣り糸を垂れるという余生を楽しんでらっしゃった。
その海を、今から500年前、ボロボロの幽霊船のような艦隊が通り過ぎて行った。その名は「マゼラン艦隊」。歴史の教科書にも載る有名人だが、映画が100本以上撮れるくらい、すさまじいドラマが満載で、興味のある方は
『マゼラン船団』(大野拓司、作品社)をぜひ読んでいただきたい。
その頃の船乗りたちは、様々な事情を抱えた荒くれ者の集まりだったようだ。少なくとも当時の船は、「男のロマン」「海賊王や牧場王になる!」という夢だけでは、とても乗れるようなシロモノではなく、「まあ地獄行きも悪くねえさ」、くらいのハッタリをかませないと務まらなかっただろう。
案の定、彼らは地獄よりも地獄を味わうことになる。