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マチュ・ピチュ住民の声を聴け④


マチュ・ピチュ一日目の夜。
さっきまで彷徨っていた廃墟が網膜に焼きつき、ベッドに倒れこむ。

マチュ・ピチュの住民たちは、約500年前の「その日」、どんな話をしたのだろう?
人間なのか神なのか悪魔なのかわからない者(スペイン人侵略者)たちによって、絶対的な存在だった王とインカの神々が、引きずり降ろされた知らせを聞いた「その日」。
自分たちが拠って立つ、インカ帝国の心臓であるクスコが、侵略者たちによって握りつぶされ、多くの知人や身内がこの世にもういないという知らせを聞いた「その日」。クスコは、「へそ」という意味だから、母の胎内につながるへその緒を切り離された赤ん坊のように、マチュ・ピチュが孤立した「その日」。

ベッドの上で、うっすら考え始めた次の瞬間、眠りに落ちた、おそらく。

プチ遭難から一夜が明け、マチュ・ピチュから最寄りの村、アグアス・カリエンテスの安宿で目が覚める。夏とはいえ、アンデスの朝は結構冷える。
クロワッサンと薄いインスタントコーヒーの朝食をささっと済ませる。
この村に泊まる最大のメリットは、数分バスに乗れば、二日目のマチュピチュをすぐに堪能できること。
昨日の脂汗の記憶は置いといて、性懲りもなく遺跡に向かい、朝霧の向こうに浮かび上がる、ひんやりとした廃墟の街を再び歩き回る。贅沢なことに、無人の世界遺産を舞台装置に見立て、「その日」の光景を想像する。

地獄と化したクスコを命からがら脱出した青年は、アンデス山脈に張り巡らされたインカ道を、休まず走る。マチュ・ピチュを目指して。

立ち止まれば、青い目をした白い肌のあいつらが襲い掛かってくるに違いない。四本足の巨大な獣(馬)と一体化し、火を噴く長い棒(鉄砲)を持って…。
いや、この道を知っているのは、俺だけだ。あいつらはここまでは追ってこれない。いや、あいつらの能力は普通じゃない。わからない。

マチュ・ピチュの門が見えてきた。ああ、知り合いの顔も見える。ああ、なつかしい。俺は生きている。でもクスコのみんなは死んでしまった。こんな話、信じてもらえるだろうか…。

「インカが、クスコが滅びただなんて、そんな話信じられるか!」
「きっとお前は、悪魔に取りつかれているんだろうよ!」

住民の罵りを受けながら、彼は高熱を出した。侵略者がヨーロッパから持ち込んだインフルエンザウイルスによって、ただ一人の脱出者は、数日後この世を去る。
住民たちは、勝ち誇ったように笑う。
「ほら見ろ、あいつは悪魔に操られていたのさ」

しかし、ウイルスは分け隔てなく、マチュ・ピチュの人々の体内にも巣食い、数日のうちに動ける人間はほとんどいなくなった。

「私はクスコに行って、何が起きているか見てくる」
「だめだ、絶対にここを出るな」
「悪魔にここがばれたらどうしてくれるんだ」
「もうインカは終わりだ」
「いや、俺は絶対に信じない」

数か月後、樹木が立ち枯れるように、マチュ・ピチュは無人となった。

人類の歴史上、何百回も何千回も、同じ恐慌が繰り返されてきた。

第二次世界大戦で日本が降伏したというニュースが、ブラジル日系社会を、勝ち組と負け組に二分した「その日」。

1990年代のペルーを蹂躙したテロで家族をなくした「その日」。

月面基地で、宇宙飛行士たちが、地球に残った人類がパンデミックで絶滅したと知ることになる「その日」。

なぜ、人間はこうも繰り返すしかないのか。
マチュ・ピチュの廃墟で、「その日」の住民の声を聴きたい。



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