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数百年間、雨も降らない砂漠で⑧
摩耗してしまった好奇心と、蓄積した心身の疲れを回復させるべく、南米チリのアタカマ砂漠のオアシス、カラマで2~3日、ひたすらだらだらと過ごす。
町の周辺では、様々な野菜や果物が栽培されている。市場には、あらゆる色彩がちりばめられ、これまで見てきた、どの国のどんな市場よりも美しい。
銅山関係のビジネスマンが世界中から来るため、物価はチリのほかの町に比べて高い。しかし、その分は町並みはこぎれいで、ホテルも料金のわりに快適だ。気候も当然カラッとしていて、暑すぎず寒すぎず快適だ。
歩いて行ける距離の町はずれには、エルロア公園という市民憩いの場所があった。砂漠を流れる小川沿いに、かわいらしい遊園地やカフェがあって、のんびりするには最適だ。
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ちょうどカーニバルの時期だったので夜に町を歩いていたら、かわいらしい子供たちのパレードを見ることができた。SAYA(サーヤ)という音楽・ダンスらしいが、幼いながらラテンの血がそうさせるのか、みんなリズム感が抜群でうまい。
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市場で初めて見るデザインの果物もどれを食べてもみずみずしくてうまい。
昨晩行った中華レストランも、味付けがあっさりしていて胃にやさしく、どの一品もうまい。
行き当たりばったりのハードな南米の旅の中で、このチリのオアシスですごした数日間は、すべてが快適だった。
しかし、その快適さに2日で飽きてしまった。快適すぎて性に合わない。
充電は終了だ。
最後の目的地、ボリビアのポトシ銀山に向かって出発だ!
(「神のお宝を盗め!~ポトシ銀山①~④」を参照のこと)
カラマ発ボリビア行きの列車は、夜中の3時に出発する。
そろそろ旅の資金が尽きかけていた僕は、一番安いクラスの車両に乗り込んだ。
乗客のほとんどは国境を行き来する現地の人だが、思っていたより数は少なく、横たわれる程度の座席スペースが確保できた。
砂漠高原の朝はさすがに冷える。まあ何とかなるだろうと、結構薄着のまま乗り込んだことをすぐに後悔するが、最安値の車両に暖房が効くはずもない。前日に市場で買い込んでいた、果物やエンパナーダをかじりながら寒さをしのぐ。
アンデス山脈越えルート、最高高度4000メートル、約24時間の旅が始まった。
この日は快晴で朝焼けがとても美しい。線路の両側は、薄茶色のイネ科の植物が生える草原が広がり、野生のビクーニャ(高級毛織物の原料となる毛がとれる、小型のシカみたいな動物)が草をはむ姿が時折見える。
遠景には、雪を頂くアンデスの山々と、うっすら噴煙を上げる火山も見える。チリは日本と同じ火山大国なのだ。
列車はのろのろと高度を上げていき、ちょいちょい停車するのだが、理由はよく分からない。誰も騒がないし、そういうもんだと達観している様子だ。
草原の真ん中で停車している間に、線路と並走する道路を、日本車を何台も積んだトレーラーが、土ぼこりをあげながら追い越していった。
オアシスで癒された僕も、いらいらせず穏やかな心持で、隣に座った現地のおばちゃんとおしゃべりをして過ごす。おばちゃんは、ボリビアのオルーロという町の出身で、カーニバルの話や、チリとボリビアの生活の違いなどを色々話してくれた。そうこうしている間に、国境のオリャゲ駅を無事に通過する。
さらばチリ!
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と突然このあたりから、頭がズキズキと痛み始めた。間もなく、ズキズキはガンガンに変わり、座っていられなくなるほど激しくなった。
ついに来てしまった。高山病だ。
ペルーでもチリでも、うまいこと体が順応し、自分は高山に強い体質なんだ、大丈夫なんだと油断・過信したのがまずかった。
耐えきれなくなり、予定にはなかった無名の駅で降りることになる。
その駅の名は、「ウユニ」。
そう、「天空の鏡」の異名で、今でこそ、世界中の旅行者のあこがれの聖地だが、1999年当時は全くの無名の小さな町だった。
そこからが、旅の終わりの始まりだ。
(「1999年のウユニ塩湖は、ナーダ(無)①~④」を参照のこと)