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壊れたサンダルでどこまで歩けるか

先週の話。
ライターを目指そうという主旨とはまったくかかわりないのだが、箸休めとしてここはひとつ。なにせ、プロフでも謳っているとおり、色々なこの世の面白いことを記事にすることも目下の目標のひとつなので。
まだ2つしか発信していないでしょう、という事実は横に置いておいて……。

改めて、先週の話。
突然、歩いていてサンダルの緒が切れた。あれ? 厳密にサンダルの「緒」というのかしら? 誤情報はあるまじきことなので調べてみた。


一般財団法人カケンテストセンターより kaken.or.jp

甲バンドっていう名称だった。

↑この甲バンドが根元からちぎれていた


 そう、この甲バンドが突然ぶっちぎれたのだ。なんの前触れもなく。定時で仕事を終え、会社と道路を挟んで向かい側にあるスーパーへと歩いている矢先に起きた右足の異変。
振り子のように繰り出された右足が突如重力を失ったかのように軽くなり、不思議な解放感で地面に着地する。

いてぇっ。

 それは足裏マッサージに似た適度な刺激。だが今感じるはずのない痛覚。小石を踏んだ模様……。
 ??? 何が起きたのか足元を見下ろすと、右のサンダルがかろうじて足首につながれ、あらぬ方向へとねじれていた。
 こ、これは一体……どういうことか。驚き、あわてふためきその場で屈みこむと、今度は肩に下げていた仕事用バッグから中身が待ってましたと流れ出て、足元に見本市のように散らばった。背後には車の気配。場所はスーパー駐車場のど真ん中。狙ったかのような見事な演出。
 まず、散らばった小物類を這いつくばって拾い集め、バッグに放り込み、起き上がろうとして尻餅をつく。アラフィフの筋力はスクワットのような姿勢を保っていられないのだと、ここで改めて痛感。やっとの思いで立ち上がり、辛抱強く待ってくれている車へ会釈をして脇へと避けるが、その間哀れなサンダルはずっと右の足首でブラブラしたままだった。そこでようやく落ち着いて、状況を確認することができた。
 
 さて、これをどうしたのものか。しばし、わたしは考える。
徒歩→地下鉄→徒歩の道のりで約30分。右足のみ素足で帰路へ着くことは可能だろうか? できなくもないだろうけど、帰宅ラッシュの時間帯と衛生上&自分の精神的耐久性を考えて断念。もっと自分を大切にしてあげようと思った。
 次に考えた案は、このまま工夫次第で履いていけるのでは? という可能性。さっそく試してみた。ちぎれた甲バンドは幸い形も長さもそのまま残っている。では、このバンドを指の間に挟んでみてはどうか。下駄の鼻緒のように親指と人差し指の間に挟んで歩いてみた。
 
 ……全然だめーーーーーーー。

 なんの効果もなし。パカパカして、ただ指の間からサンダルがぶら下がっているだけ。これをかつての花魁道中のように、いよぉっと横へ右足を振り向けてからサンダルを地面へ着地させて足を乗せるにしても時間がかかりすぎて歩行がちっとも現実的ではない。もうパニクっているから、まともな解決方法が頭に浮かんでこない。ハンカチを甲に巻いて固定すれば万事解決なのにね。そんなおかしなことをしばらくやっていた。何かのパフォーマンスなのだろうかといった面持ちで、傍らに駐車している車の運転席からお爺さんがじっとわたしに視線を注いでいる。
 そんなとき。天使とおぼしき声がわたしに降ってきた。

「よかったら、これをどうぞお使いください」

  振り向くと、そこには息を切らした笑顔の女性が立っていた。心配そうに少し眉を曇らせ、差し出された手には青と白の模様の綺麗なマスキングテープが乗せられていた。30代後半であろうその女性の曇りなきまなこを見て、わたしは束の間、今がどういう状態でどこにいるのかも忘れて、その女性の美しい親切心にいたく感動してしまった。
 少し離れたところに自転車が停められている。おかしな動きをしているわたしを発見して、わざわざ自転車を降りてまで駆けつけてくれたのだ。

「こんなものしかなくて……。もし使えそうならどうぞ差し上げます」

 ちょっと胸がいっぱい中のわたしは口をパクパクさせてしまったが、なんとかお礼を言えた。でも、丁重に辞退をした。テープでもたぶん持たないだろう。勢いよくサンダルを脱いで片手に持ち、女性を安心させるように言葉を添えた。
「スーパーで何か履物を探してみます。お気遣い、本当にありがとうございます」
 女性はひとまず安心してくれたようで、優しい微笑みを残して颯爽と自転車に跨り去っていった。こんなちょっとしたプチ悪夢のような状況の中、心に爽やかな風が吹く。一日の終わりに、なんて素敵な思いやりをもらったのだろう。得をしたとさえ思った。
 片足素足で歩きだそうとして、そこでやっとハンカチ案が頭に浮かぶ。ひとり照れ笑いしながら、バッグからハンカチを取り出し、サンダルごと足の甲へ固定をする。立ち上がると、スーパーのエントランス付近に設置されているベンチで休憩しているお年寄り数人と目が合った。ずっと見守られていたらしい。その内の幾人かが、うんうんと「それが正解だよ」といった無言の頷きを送ってきた。見渡すと、周囲の駐車場内に停車している車中の人たちも笑顔だった。注目を一身に浴びていたようだ。この間、おそらく5分も経っていないだろうと思われる。
 わたしは顔を上げて、スーパーへ隣接する靴卸売店へと向かった。ここが複合型商業施設であることを、動転のあまり忘れ果てていたのだ。なんのことはなかったのだ……。
 
 そしてわたしは新しい靴を手に入れ、帰路につく。で、思い出す。
夕べ、とある不思議な記事に出会い、おもしろおかしく読んだことを。その記事では、魔法の言葉を窮地に立たされた時に唱えると奇跡が起きると述べられていた。
(著者は、"ネガティブな念を取り消して感情を凪ぎに鎮める力を発揮する"と説明している)

 それは、『おん あぼぎゃ


なんだかユーモラスで可愛らしい言葉の響きと、光明真言の一節という魅力に引き寄せられ、眠りにつくまで唱えてみた。今日も、昼休みに気に入ったので唱えていた。苦境に立たされていたわけではないけど唱えていた。そして、実際苦境に立たされていた真っ最中には唱えることを忘れていた。
 これはご利益があったのか? いや、そもそも自分で解決できたことだったし、人の親切に出会ったということだけだから、あの記事で説明されていた内容には当てはまらないのでは?
 と判断をくだしたが、わたしの中ではこれもご利益の一環であったと思っている。いや、そうであってほしい。これについては、記事クリエイターのSaehさんのご判断になるのかもしれない。
 もっと大きな、それこそ生活を左右するほどの『おんあぼぎゃ』効果を得てみたいので、今後も唱え続けようと思う。
 
おもしろく、大変魅力的な危機回避引き寄せ呪文を広めてくれているSaehさんの記事はこちらです。↓




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