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中居・フジテレビ問題と「心の解放区」
中居問題・フジテレビ問題がこんなことになって、
なんだか嫌な気持ちになっています。
芸能界とかテレビって、もともと一般社会とは隔絶した、
理不尽だったり、いい加減だったりする世界だったはず。
そして、そうした世界で成功し、活躍できる、
エンターテインメントの才に長けた人たちは、
常人離れしたエネルギーを持っている人たちです。
普通の人たちは、毎日お祭りやっているような
「ハレ」の日ばかりだと疲れちゃって、とても持たないけど、
あの世界の人たちは、それができちゃうわけです。
で、一般ピープルもそういう「ハレ」の部分を楽しんだり、
息抜きとして利用していたと思うのですが・・。
ということをいうと、中居君がやったことや
フジテレビの疑惑を肯定しているかのように思われるかもしれません。
そうではないのですが、
かつての「面白くなければテレビじゃない」
「きっかけはフジテレビ」みたいなノリは、
一般社会とは異なる、理不尽だったり、
いい加減だったりすることころから出てきたのだと思います。
あの時代のフジのドラマやバラエティも、
つくる側のそうしたエネルギーと、
視聴者側の「ハレ」を楽しみたい気分が合致して
質の高いものになっていたのではないでしょうか。
あれから30年~40年あまり。
社会が成熟し、そんな面白ノリよりもっと大事な
人権やモラルが優先される世のなかになったということでしょう。
それはきっといいことなのだと思います。
ただ、僕は正直言って、
そういう空気に何とも言えない息苦しさも感じてしまうのです。
少なくとも、詳しい事実関係もわからずに
「中居は、フジは」と、声高に糾弾する気にはなれません。
話はちょっと飛ぶけど、
今年初めのNHKスペシャル「ネオ・ジャポニズム」で
マンガの特集をやっていました。
今、日本のマンガは欧米の先進国だけでなく、
アジアやアフリカなどの新興国、
また、戦場になっているウクライナなどでも読まれているといいます。
番組ではその理由について、
日本のマンガの世界の中に「心の解放区」があるからでないか、
と表現していました。
かつてのフジのドラマやバラエティ番組に代表される
「テレビ的なるもの」は、まさにその「心の解放区」だったのでしょう。
今、その役を担うのは、
テレビではなく、マンガやアニメ、ネットの世界なのかもしれません。
中居君と被害女性の間で、本当は何があったのかは、
本人同士でないと分からないし、
互いの心情を客観的に判断するのは難しいと思います。
ただ言えるのは、芸能がらみの世界でずっと続いてきた、
そして、当たり前と思われてきた、
(実力・才能がある)男がおいしい思いをできるという
習慣というか、文化は、
今後、わりと速い速度で廃れていくのは確かでしょう。
その先にやってくる新しい常識の世界がどんなもなのか、
まだちょっとクリアには想像できませんが。