<創作大賞>夢幻想のふたり~剣姫あるいはIT女子~【23】完結
【23】エディス あるいは 朝菜
◇◇◇エディス◇◇◇
エディスは、振り返った。
剣を持った亡霊が、そこに立っていた。
そう言えば、アリエスの全身を正面から捉えるのは、初めてかもしれない。カダン商会では暗い倉庫の中、鈴蘭亭では窓枠に座っていた、王宮の迷路では攻撃をかわすのに精一杯だった。
見る程に嫌悪感がつのる。それは、顔や体の見た目の事ではない。世を憎む心が発散する、黒い瘴気が感じ取れるからだ。この女を生かしておいては、ますます王国に害を成す存在になるだろう。この場で決着をつける。
「まだ、お楽しみがあるのかな。どうなんだい。答えろ」
アリエスは、気勢を上げているが、こけおどしに近いことが、エディスには分かった。らせん階段を上った影響で息が乱れている。回復する前に……
エディスに、具体的な作戦があった訳ではない。ただの機転だ。大きな戦力の差があるときは、地の利を生かすしかない。今の場合は、高い塔だ。
塔の屋上に、おびき出して突き落とす。一緒に落ちてでも、地面に叩きつける。自分はどうなろうと構わない。高貴なる者の義務を果たすまで。
「星空と風景を一緒に眺めようと思ってな。お前は、見たことがないだろう」
「知った口を利くな。そんな上品な趣味は、持ち合わせてないんだよ」
「では、始めればいい」
「うるさい。もう、戯言は終わりだ。その首刎ねてやる」
アリエスの剣が、エディスの首に向かって襲いかかる。後退しながら、三度よけた。体に組みつく機会を伺うが、もう体がついてゆかない。足が滑った。
「おしまいだ!」
アリエスの叫びと、斜め上からの斬撃が、エディスの頭に落ちた。
◇◇◇◇朝菜◇◇◇◇
朝菜が、鹿取の席を見ると、もういない。店を替えるのか、レジで会計中だ。ふたりで会話しながら、ドアを開けた。
今すぐ行かないと。朝菜は、席を立った。
「縄田さん」
新宮は、それしか言わない。どう解釈するかは、朝菜の勝手だ。やっぱり、変な人。
店を飛び出して、鹿取の後を追った。ふたりは、手をつないで歩道を歩いていた。
「鹿取さん」
呼びかけると、ショートカットの女性が振り向いた。
「縄田さん。どうしたの、こんな場所で」
「鹿取さん。真剣な、お話があります」
鹿取は、朝菜の顔見て、男に囁いた。男は軽く手を上げて、歩き去った。
「で、なんなの。真剣な話って」
ネイルを気にしながら、鹿取が言った。
「鹿取さん。会社辞めるんですか」
「えっ、もう知ってるの。課長に口止めしたのになあ」
「転職先は、菱沼ネットワークスですか」
「なんで、それを」
鹿取は、息を呑んだ。しかし、気をとり直して、返答する。
「まあ、あれよ。ご縁があってね。挑戦してみようかなって」
「真心ゼミへの入札情報を、菱沼ネットへ流してたんですか」
朝菜が、正面から切り込んだ。
「何言ってるの。犯罪だよ。そんなこと、しないわよ」
「じゃあ、あの男の人は、誰ですか。菱沼ネットの社員ですよね」
「ち、違うわよ。あれは、個人的にお付き合いしてる人なの」
鹿取は、手を振って否定した。朝菜はスマホを取り出した。
「写真を撮りました。菱沼ネットへ行って、確かめますよ」
嘘だが、この際どうでもいい。
鹿取の顔が、怒りで歪んでいく。
「なんて、生意気な子。可愛がってあげたのに、私の邪魔をするなんて」
「邪魔したのは、あなたでしょ」
「うるさい。あんたと比留間が、コンペで頑張りすぎるから、いけないんだ。適当にアドバイスしておけば、落選すると思ってたら、三位になんかなりやがって。おまけに入札に参加だと。ふざけるな」
肩で息をしながら、まくしたてる。
「あんたたちが、優秀すぎるのが、罪なんだよ。私の立場が無いでしょ。何年勤めてると思うの。課長にもなれないじゃない」
「私と比留間君には、全く関係ありません」
「黙れ。いつも、楽しそうにしやがって。ああ、あんたが年上だったね。キスくらいして、手なずけたの? あのパソコンおたく」
酷すぎる。朝菜の胸の内に、怒りが重積する。自分はともかく、比留間を侮辱されたのが許せない。なんだ、この女。
「撤回してください。今すぐ」
「なに、怒ったの? 顔色変わったよ」
ぶつり。朝菜は、自分のどこかで音が鳴ったのを聞いた。剣姫が、目を覚ました。
周囲が暗くなる。歩道は無く、石畳の上に立っている。なま暖かい風が、前髪をかき上げた。遠くで、金属を打ち合わせたような、高い音が聞こえる。
朝菜の左腰に、ずしりとした重い物がぶら下がった。手を添えると、懐かしい感覚が甦る。ああ、白銀の剣。
鞘から引き抜くと、剣身の青白い光が周りを照らした。
その中に、鹿取奈々がいた。呆然と立ちすくんで、状況が理解できないでいる。
朝菜は無表情で、軽々と剣をふるうと、上段に構えた。溢れた青白い光が、まるで花びらの様に飛び散る。
「こ、殺さないで。私は悪くない」
カッとなった朝菜は、鹿取を睨みつけて、思い切り剣を振り下ろした。
しかし白銀の剣は、奇術のように朝菜の手から消え去った。鹿取の姿も無い。まるで、剣が意志を汲んで、どこかへ連れ去ったみたいだ。後は、歩道に倒れた朝菜が残された。
◇◇◇エディス◇◇◇
塔の屋上に、剣で切り結んだときの、高く鋭い金属音が鳴り響く。アリエスの斬撃が、エディスを切り裂く直前に、弾かれたのだ。
剣身から青白い光を放って、白銀の剣がエディスの前に浮かんでいた。残響のように、金属音が鳴り続けている。
何も考えず、素早く柄を握る。剣とエディスが、一体となった。
「なんだ、その剣。いきなり、出しやがって。気色の悪い奴」
アリエスが、悔しさから毒づいた。捕まえたはずの鼠を取り逃がした気分だ。
しかし、一方的な攻撃につまらなさを感じていたのも事実だ。これで剣姫の実力がわかる、とアリエスは考えた。不思議なことに、闘いに期待している自分がいるのだ。
何も言わずにエディスは、白銀の剣を上段に構えた。青白い光が溢れ出してくる。光は自分の精神力だ。今は、闘う気力に満ちている。やれる。亡霊を打ち倒せ。
エディスから仕掛けた。渾身の一撃を亡霊の首筋に向けて、振り下ろす。充分に速い斬撃だったが、受けたアリエスをよろけさせるに留まった。続けて、二合三合と打ちあうが、うまく流されてしまう。逆に、鋭く突かれて、飛び退った。
「ははは。何だそのなまくら。光で太刀筋がまる分かりだ。所詮、飾り物の剣なんだろ」
光を追えば、どこが攻撃されるか予想がつく。弾くか、避けるかだ。そして、隙を突いて、切り裂いてやればいい。勝った、とアリエスは思った。
なおも、エディスの攻撃は続く。肩、胸、頭と連続技で切りつけるが、致命傷は与えられない。しかし、剣姫は冷静だ。まだ、やれる。
攻撃を受けながら、亡霊はほくそ笑んだ。唇がまくれ上がる。そろそろ、いい頃合いだ。今だ、切り裂け!
反撃に転じようとした瞬間、エディスの気配が消えた。同時に、白銀の剣の輝きも、ふつりと無くなった。今まで目で追っていた光が急に消滅し、アリエスは至近距離で相手を見失った。
「あの、ジジィと同じ技を……」
胸の中央に、強い衝撃と痛みがはしった。アリエスが見ると、自分の胸に剣が突き立っている。エディスが、隙を逃さず、がら空きになった胸に、白銀の剣を突き通したのだ。
しかし、アリエスも並の剣士ではない。
素手で剣を掴むと、胸から引き抜いた。血だらけになりながら、エディスに向かって襲いかかった。
「お前も道連れだ!」
まさに亡霊と化したアリエスは、エディスに組みつき、塔から突き落としにかかった。
剣姫は意識せずに、体が勝手に動くのを感じた。お仕着せの中の右脚が跳ね上がり、アリエスのみぞおちに突き刺さった。そして、下ろした脚を軸に、左脚の回し蹴りを首筋に叩き込む。それは、サーシャの足技だった。
意識が朦朧としたアリエスは、よろけて足を踏み誤った。体を空中に突き出すと、そのまま墜落した。エディスは、その場にへたり込んだ。
気が付くと空が紫色に変化していた。もうすぐ日が昇る。酷い一日だった。しかし、アサナも酷い裏切りに合っていることを、エディスは知っていた。
突然現れた、白銀の剣の柄を握ったとき、アサナの物語が頭の中に流れ込んで来たからだ。道に倒れていたが、大丈夫だろうか。
塔の屋上に、日の光が差した。エディスは、ゆっくりと立ち上がる。体中、あざと傷だらけだ。足もうまく動かない。とはいえ、生きて日の出を見ることができる。それは、素晴らしいことだ。
「あれは、何だ」
エディスは、目を細めた。塔からの遠景の中で、無数に動く物がある。夜明け前では、わからなかっただろう。昇った日の光が、今、起きつつある事を教えてくれたのだ。
◇◇◇エディス◇◇◇
ケントは、顔から血の気が引く思い、というものを初めて経験した。
石畳に倒れて、起き上がれないフィン・モルダーから、戦況を聞かされた。ハードスの軍勢が国境を侵し、カノン城を包囲した。城の壊滅寸前に、命からがら抜け出し、全力で帰投したというのだ。おそらく城は落ち、サイモン王子は討ち死に、もしくは自害と考えられる。
疲れはもう感じない。頭が麻痺してしまった。今何をすべきかを、よく考える。
カイドン隊長に報告し、国防大臣、さらに国王への上申を行う。同時に、ふたりの副隊長にも状況を伝えて、対抗策を練る。エディス様には…… 直接報告しないと、怒るだろうな、きっと。
そこまで考えて、ケントは駆け出した。ハードス軍が王城へたどり着くまでに、準備を終わらせるのだ。フィン・モルダーに報いてやらなければ。
さきほどまで紫色だった空が、明るい光の色に変わってゆく。激しい一日が始まる。しかし、何かを怠れば、明日を迎えられないだろう。
王宮の入口、塔の足元に黒い布の塊が、落ちているのを発見した。人の手足が突き出している。周囲の石畳は、飛び散った血で赤く染まっている。また、人死にか。ケントは、胸に湧いてくる嫌悪感を抑えて、近寄った。
顔を確認する。白い肌、短く切った髪、小顔の女性だ。しかし、顔の造作がアストリアムの民と全く異なっている。ケントが会ったことのない人種のようだ。
「これは、誰なんだ」
自然と空を見上げた。塔の側に倒れているので、墜落したと考えたからだ。塔の屋上に人影が見える。その風貌は……
「エディス様か」
ケントは塔の内部に入り、らせん階段を上がる。カイドン隊長へ事態の報告をするよりも、大事なものを感じていた。
◇◇◇エディス◇◇◇
エディスは、自分の意志とは関係なく、手が震えるのを初めて経験した。
塔の上からの光景は、それほどの恐怖をもたらしたのだ。
「エディス様。どうされましたか」
振り向くと、ケントが息を切らせて立っていた。手招きをする。
「あれを見ろ」
エディスが指差した。その先には、昇った朝日の光を反射する、一面無数の鎧や面や剣や槍の穂先があった。大軍勢は馬で、あるいは徒歩で、ゆっくり着実に王城へ迫ってくる。音は聞こえないが、圧倒的な圧力を感じさせた。
「もう、こんな所にまで……」
「あれは、ハードスの軍勢か」
「はい。国境のカノン城を落とし、夜の間に進軍してきたのです」
ケントは、手短に状況を報告した。
「そうか、サイモン兄様が」
エディスは、年の離れた兄の厳しいが思いやりのある声を思い出す。もう一度、お会いしたかった。
「ところで、ケント。あれを打ち払うことはできるか」
「もちろんです。そのために、日々の訓練を行ってきたのです。お任せください。エディス様のことも、お護りいたします」
ケントは、握った拳で胸を叩いた。エディスは、不満げな声を出す。
「ケント。お前は間違っている。わたしは、護ってもらいたい訳ではない」
「どういうことですか」
「共に並んで闘うのだ。それが、わたしとお前の務めだ」
「御意。仰せのままに」
エディスは、右隣を横目で見た。
「ひとつ頼みがある」
「なんでしょう」
「さきほどから、手が震えてしかたない。握って、抑えてほしい」
ケントは無言で、エディスの手を握りしめる。エディスの頬に赤味がさした。
「すぐに、軍議を始めるぞ。心せよ」
「色気の無い話ですね」
「この、馬鹿者が」
◇◇◇◇朝菜◇◇◇◇
朝菜は目を覚ました。涙で頬が濡れている。両手で拭った。
知らないシーツ、知らない枕、知らない掛布団。ここは、いったい何処なのか。なぜ、知らない部屋で寝ているのか。わからない。
遠くで女性の声が聞こえる。耳が変だ。よく、聞こえない。
「……縄田さん。朝菜ちゃん。大丈夫?」
やっと、はっきり聞こえるようになった。中年の女性が、話し掛けている。この人知ってる……
「あ、比留間君のお母さん」
「よかった。意識もはっきりしてるようね」
「ここは、何処ですか」
「病院よ。道で倒れてたから、救急車を呼んだらしいの。ちょっと待ってて。呼んでくるから。事情は直接、話をして」
比留間の母は安心した様子で、病室を出て行く。しばらくして、比留間が入ってきた。
「よかった。心配しましたよ」
「ありがとう。私、倒れてたって、本当?」
「そうですよ。帰ってこないから、新宮さんと手分けして、辺りを捜したら、歩道で……」
とすると、あれは現実に起こったことなんだ、と朝菜は思った。白銀の剣で鹿取を切った、のだろうか。わからない。夢の中で、塔の側に倒れている、血まみれの鹿取を見た記憶はある。
「あれ、先輩。顔色が良くないですよ」
「ううん、大丈夫。ちょっと記憶が混乱してるだけ」
「そうですか。話をして、治るようだったら、いつでも聞きますよ」
比留間が、助け舟を出してるような気がした。優しいね。
「うん、鹿取さんのこと…… なんだけど」
「話しにくいなら、場所を変えますか。この病院の屋上は、庭園になってるそうです」
「そうね。風に当りたいな」
ふたりは、病室を抜け出した。
朝菜は患者衣を着ていて、恥ずかしかったが、制服の上着を羽織ってごまかした。エレベータを十階で降りると、背の低い植物が植わった遊歩道が造られていた。午後の日射しが降りそそぐ中を散歩する。
「あそこのベンチに座りますか」
比留間が、朝菜の体調を気遣う。並んで座ると、周りを高いビルに囲まれて、ここだけ異様な空間だ。人工的に造ったのが、強調されている。それでも、日の光と風は、気持ちいい。穏やかな気分にさせてくれる。
「新宮さんが、反省していました。鹿取さんのことは、黙っておくべきだったと」
比留間は、しんみりと話した。
「永遠に秘密なら、その方がよかった。でも、いつかは知れるでしょ」
「まあ、そうなんですが」
「それなら、早いか遅いかの違いだよ」
なぜか、そう口に出した途端、朝菜の心が決まった。やはり比留間君には、知っていてほしい。
「最近、私、寝ているときに、夢を見るんだ。連続ドラマのような、物語になっている夢。その世界は、お城があって、王と女王がいて、王女とその家来もいる。町があって、人が暮らしている」
「へえ、RPGみたいですね」
「そう、そんな雰囲気。王女の名前は、エディス。私と同じ歳なのに、もの凄く剣術が強くて、町で荒くれ者と決闘してるの。相棒は、お目付け役のケントという、年下の男子。そして、その国が隣国から狙われる、というお話」
「まあ、ありがちな設定ですね」
「夢の中だから。昔読んだ小説が、元になっているかもしれない。それで、エディスはいつも、白銀の剣というのを持っていて、振り回している。発光する剣なの」
「映画のライトソードのような感じですか」
「そう、その感じ。そして、大事なのはここから。鹿取さんを追いかけて、捕まえた後、とても酷い言い合いになったの。私だけでなく比留間君のことまで侮辱されて、すごく怒ってしまって、気が付いたら手に白銀の剣を持ってた。そして、それを振り下ろした」
朝菜は、剣を持った右手が震えていることに気が付いた。罪の意識からかな。
「鹿取さんを傷付けた。いえ、もっと恐ろしい目に合わせてしまったの」
「でも先輩は、僕のために、怒ってくれたんですよね…… それが嬉しいです」
「比留間君は、いつも私を気遣ってくれる。護ってくれる。ありがとう」
朝菜を責めない比留間へ、飾らない素直な言葉だった。想いが心に溢れる。
朝菜は、横目で右隣を見た。
「お願いがあるの」
「なんでしょう」
「さっきから、手の震えがとまらない。握ってほしいの」
比留間は無言で、朝菜の手を強く握った。朝菜の、頬が朱に染まった。
「あの時みたいです」
「えっ」
「ほら、エディス様は同じことを言いました。塔の上で」
「ええと、何を言ってるの」
朝菜は、口を開いたままだ。驚きで、胸の鼓動が早くなる。どうして。
「約束は守りましたよ。ハードスの軍勢は追い払いました。その後、アストリアム王国は、百五十年間も独立を守ったんです」
「なんで、知ってるの。私の夢の話なのに」
「やっぱり、気付いてませんよね」
比留間は、片方の手で、制服のポケットから社員証を取り出した。
「僕の名前は、比留間賢人です。ケント!」
「ああ…… ごめん、相棒」
朝菜は、比留間の手を優しく握り返した。(了)
<お読みいただき、ありがとうございました。次回作も頑張ります>
<創作大賞>夢幻想のふたり~剣姫あるいはIT女子~【1】