【短編小説】月夜影に棲まうもの《3》学校裏サイト
《3》学校裏サイト
突然、数羽の鳥の不気味な鳴き声と羽ばたく音が響いた。
その音を切っ掛けにして、呪縛が解けた。美傘は、足をもつれさせながら後ずさる。逃げ出すように振り返ると、元来た方向へ走り出した。
しかし、十歩も行くと今度は柔らかいものにぶつかり、はね返された。仰向けに倒れそうになると、両肩をがっちりと掴まれる。
「ひぃいいい」
美傘は、大きな悲鳴を上げた。物理的接触が、本来の恐怖反応を引き出したのだ。逃れようと、首を左右に振って暴れる。涙が飛び散った。
「君、大丈夫か。おい」
若い男性の声だ。
「え、え、え」
美傘の声は、言葉にならない。
足元に落としたスマホの画面が、光を取り戻して周囲を照らす。男性が驚いた表情になった。顎が細く、くせ毛がゆるく額にかかっている。
「あれ、美傘?」
「だ、誰?」
「ありきたりな台詞だけど、幼なじみの顔も分からないのか」
美傘は男の顔をよく見た。頭の中がぼんやりとしていたが、やがて名前を口にできた。
「久零…… 君」
「そうだよ。どうして、ひとりで森の中にいるんだ。危ないだろ」
「久零君こそ、なんで」
多少落ち着いてきて、美傘の声は穏やかになっている。久零は手を離した。
「俺は、流星群の観察に来たんだけど」
「私も。高校の天文部の人達と」
「それで、皆とはぐれたのか」
「……そんな、ところ」
幼い子供のように、光を追いかけて森に迷い込んだなんて、言えなかった。
「とりあえず、森を出よう」
久零はスマホを拾うと、足元を照らして歩き出した。美傘も、無言で従う。ほんの数分で、開けた場所に辿り着いた。すぐ近くにテントとランプの明かりが見える。
「じゃあ、俺は先に帰るよ。バイクだから、時間かかるし」
スマホを差し出して、久零が言った。美傘は、恥ずかしくて顔を上げられない。
「ああ。ありがとう。助けて…… くれて」
「いいよ。それより、遅刻するなよ。もう、月曜日だぞ」
美傘は、久零の背中を見送った。スマホの画面を見ると、0時十三分。充電残量は29%だった。
さっきの体験は、なんだったのか。頭の中に靄がかかったようで、詳細が思い出せない。しかし、それを変だとも感じなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
美傘は溜息をついて、誰も座っていない前の席を見つめた。沙保里は三日前から、登校していない。
流星群の観察会から一週間。学校で会う沙保里の言動や態度は、普段通りだったのに。
「沙保里、どこ行ったのかな。家出?」
右隣の女生徒が、美傘に話しかけてきた。学校から説明があった訳では無い。けれど、皆知っている。ここ数日、稲代高校裏サイトが大荒れだったからだ。
普段は、少し強めの中傷や真偽の定かではない密告で溢れているが、一枚の写真の投稿が引き金を引いた。
ひとりの女生徒が街中を歩いている写真だが、背景にラブホテルと中年男性が写っている。女生徒は、観月沙保里だ。
単純な悪意しか感じれらない写真だが、裏サイトのネット民には、大好物の供物だった。あっと言う間に、尾ひれと捏造の投稿が嵐のように続いた。
<やっぱり前から怪しいと思ってた>
<昨日もホテル前で見た 荒稼ぎだね>
<バレる前に退学してくれ 校長より>
そして、さらに爆弾が投下された。警察官が住宅の前で、中年の夫婦と話をしている写真とコメントだ。
<沙保里は行方不明 警察が捜索中>
ほんの一言で、裏サイトはさらにヒートアップしていった。
でも、美傘は知っている。写真の中年夫婦は、沙保里の両親ではなく、赤の他人であることを。そう思わせる、効果的な写真だということだ。
だが沙保里が登校せず、美傘がかけた電話に出ないのも事実だ。放課後に家まで行ってみようか。ぼんやり考えていると、スマホが振動した。沙保里からのチャットだ。
<誰にも言わないで ここに来て>
駅ビルに入っている、カフェの店名が記されていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
沙保里はカフェの目立たない奥の席に、うつむいて座っていた。メガネと黒いキャップで変装している。
「沙保里…… 大丈夫?」
向かい側に座って美傘が声を掛けると、のろのろと顔を上げた。目に精気が無く、疲れた表情だ。
「学校の裏サイト、見た?」
美傘は黙って頷いた。眉をひそめる。
「そう。じゃあ、説明はいらないね」
「あんなの嘘ばっかり。沙保里が気にすることじゃないよ」
「知ってる。自分のことだもの。それより…… 私怖い」
沙保里は怯えた顔を見せた。目の縁に涙が溜まってゆく。
「山科部長がね…… 怒っちゃって。そんな女だと思わなかったとか、お前のせいで天文部が潰れるとか、さんざん電話で言われて」
「酷い。それは言い掛かりだよ」
「殺すって。好きだったのに、裏切られたから殺してやるって、大声で叫ばれた」
沙保里は、両手で自分の肩を抱いて震えている。美傘は唖然とした。何だそれ。
「いつも冷静な部長を、私も好きだった。でも、あんな狂った声を聞いたら怖くなって、すぐ家を出たの。それから、戻ってない」
「これから、警察へ行こう。理由を言って、守ってもらうの」
美傘は沙保里の手を取った。声に怒りが混じっている。なんて理不尽なの。なんて短絡的な男。
「学生の言うことを信じてもらえるかな」
「当たり前だよ」
「それなら、いいけど…… ああっ!」
沙保里の喉が絶望の吐息を絞り出す。大きく開いた目は、友人をすり抜け、その背後を見ていた。美傘が振り返ると、そこに暗い目をした山科が立っていた。
「部長に知らせたの?」
沙保里にかすれ声で問われ、美傘は首を大きく横に振った。
(つづく)