【短編小説】無責任なトリックたち
海辺の別荘の窓に大粒の雨が叩き付けられた。台風が近づいているのだ。
薄暗い洋室に、男女五人が輪になって立ちすくんでいた。全員が眉をひそめ、輪の中心を見つめている。そこには男がうつ伏せで倒れていた。紺色のサマースーツの背中にナイフが突き立っている。
「これ…… 佐々木君だよね」
「自殺じゃないよな」
「当たり前でしょ。どうやって自分の背中にナイフを刺すのよ」
「だ、誰がやったんだ。この別荘には俺達しかいないのに」
彼らはK大学ミステリサークルのOB・OGだ。卒業から五年経ち、旧交を暖めないかとのメールが届き集まっている。しかし当日になって、招集者本人は現れなかった。
借りた別荘のリビングルームでこの後どうするかを話していると、突然二階で物が倒れる大きな音が鳴った。駆けつけると、男が倒れている。メールの送信者、佐々木だった。
「殺人だ。殺人事件だ」
今まで黙っていた男がつぶやいた。長髪に無精ひげ。不気味な風貌のその男は、サークルの創設者である曳地だ。
曳地はサークルの中でも抜群の推理力を誇っていた。犯人当てで、彼にかなうものはいない。
「でも、おかしいよ。ドアにも窓にも、鍵が掛かっていたのに!」
サークルの中の一人が、取り乱したように叫んだ。
部屋のドアは男二人の体当たりで壊して開けた。三つある窓はクレセント錠が掛かっており、外からは開けない。
「み、密室だ。密室殺人だ」
「佐々木を殺した奴はどうやって逃げた。まだ、この部屋の中にいるのか」
「いやっ。怖いこと言わないで」
だが、部屋には人が隠れられる場所は無い。ただの四角い空間だ。
「一つ言えるのは、俺達は犯人じゃないってことだ。ずっと一緒に居ただろ」
「でも、到着した時間はバラバラだよね」
「何人かトイレに立ったから、その時は単独行動できたはず」
「外からは部屋に侵入してない。床が濡れてないもの」
皆それぞれ推理を話し始めた。しかし、曳地だけは腕を組んで天井を睨んでいた。
「トリックだ。巧妙なトリックに違いない」
曳地は仲間に視線を戻した。
「情報が足りない。もっと調べるんだ」
風が強くなり、窓が軋んだ音を立てた。嵐の夜が始まる。
◇◇◇◇◇
「はい、カット! OKです」
ドラマの撮影現場に監督の声が響いた。張り詰めた空気が緩み、役者達の顔に笑顔が戻る。死体役の男が起き上がり、安堵から長い息を吐いた。
「今のシーンをもって撮影終了です。お疲れ様でした!」
映像をチェックし終えた監督が大きな声で言った。スタッフ達が動き始め、撮影現場は急に慌ただしくなった。
「監督、お疲れ様」
一番後ろで撮影を見ていた男が、監督に近寄って声を掛けた。プロデューサーの石橋だ。口ひげにサングラスと、いかにもテレビ業界の人間という雰囲気をまとっている。
「石橋さん。本当に撮影はここまでですか。尻切れトンボですよ」
監督は物足りないと言った感じだ。
「いいの、いいの。これは犯人当てクイズの番組だから」
「でも、どうやって殺したのか、私も正解を知らないですよ」
「いいの、いいの。きっとミステリマニアが、すごいトリックをひねりだすよ」
「そうですか……」
監督はあきれた顔をした。
その日の夜はドラマと同じ悪天候となった。撮影班が宿泊するホテルは、強い風雨にさらされていた。
「これじゃ、外に出られないな」
監督が隣に座った曳地役の俳優に言った。手にはビールのジョッキを握っている。ホテルのレストランの一角で、打ち上げが行われていた。
「二次会は無理ですね。部屋へ戻って、飲みましょうか?」
俳優が監督に気を使って笑顔で答えた。次の仕事もお願いしますよ、と言いたげだ。
「あれ、石橋プロデューサーがいないな」
監督は少し離れた席が空席になっていることに気が付いた。
「飲み過ぎたみたいです。自分の部屋に戻られました」
スタッフの中の一人が言った。
「じゃあ、そろそろお開きにするか」
監督の一言で、皆口々に挨拶を交わして自室へ向かった。
監督の部屋はプロデューサーの隣だ。曳地役の俳優がちゃっかり付いて来ている。監督がドアの鍵を開けようとしたとき、隣室から物が倒れる音と絞り出すような男のうなり声が聞こえた。
監督は、急いで隣室のドアを叩いた。しかし返事がない。慌ててフロントに連絡を入れると、すぐにホテルの従業員が合鍵を持って駆けつけた。
開けられたツイン部屋は無人だった。小窓に雨が当たる音が聞こえる。照明は点いたままだ。
「大丈夫ですか」
そう言いながら、監督は部屋に入って周囲を見回したが、異常は無かった。
「ここでしょうか。中からロックされて開きません」
従業員がバスルームのドアを引きながら言った。一刻を争う事態かもしれない。監督は開錠を依頼した。
暗いバスルームで、プロデューサーは殺されていた。服を着て、浴槽に頭を突っ込んでいる。その背中にナイフが突き立っていた。
「あっ……」
惨状に監督は言葉を失った。
部屋のドアには鍵が掛かっていた。窓はあるが、小さくて人は通れない。さらにバスルームは中からロックされていた。
「み、密室だ。密室殺人だ」
曳地役の俳優が声を上げた。
彼は気付いたのだ。これが二重密室殺人であることに。
◇◇◇◇◇
「どうかな、この短編」
小説家の弘樹は妻の美沙に、書き上げた小説の感想を尋ねた。
「別荘とホテルの密室殺人事件…… 難しいわね。どんなトリックを使ったの? 私には見当もつかないわ」
「いいの、いいの。これは犯人当てクイズ小説だから。トリックは、読者が知恵を絞って応募してくれるよ」
弘樹は、小説の中のプロデューサーと同じ様な返答をした。ニコニコと笑っている。
「そうなんだ……」
美沙はあきれた顔をした。
<了>
*読んでいただき、ありがとうございます。次回作も頑張ります。