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ドラゴンクエスト開発秘話 vol.3

日曜日ももう終わり!涙
やきとり行ってきます!笑

容量の問題

RPGはアクションゲームと比べて文字情報が多く、シーンごとに画面が大きく変わるため、データ量が膨大になりがちです。『ドラゴンクエスト』の開発時、中村光一さんや堀井雄二さんは「容量との戦いだった」と語っています。

初代『ドラゴンクエスト』の容量はわずか16キロバイト。その限られた容量を有効活用するため、中村さんと堀井さんが以前手掛けた『ポートピア連続殺人事件』で培った文章圧縮技術が役立ったそうです。開発の終盤では、残り2キロバイトの容量が不足し、文章ごとに2文字ずつ削るなどの工夫を凝らしました。

また、モンスターは15種類しか用意できず、色を変えたり、左右反転させたりしてバリエーションを増やしました。呪文の数も最大10個にするなどもあったそうです。さらに、当時はデータのセーブ機能を実装できなかったため、復活の呪文というパスワード方式を採用し、プレイヤーが手書きで記録する仕組みにしたそうです。

世界観づくり

堀井雄二さんは、日本の歴史を舞台にするとリアリティがありすぎて「嘘くさく感じてしまう」と考えました。そこで、「ヨーロッパの剣と魔法の世界の方が夢があってよいのでは?」という発想から、作品のイメージを固めていったそうです。

モンスターのデザインは鳥山明さんが担当。彼の描くモンスターにはどこか温かみがあり、それが『ドラゴンクエスト』の世界観にぴったり合っていました。

また、最初に採用された呪文は「ホイミ」。この独特な語感のネーミングは堀井さんが考案したものです。一方、中村光一さんは「パルプンテ」を絶賛。意味不明なのに、なぜかしっくりくる絶妙なネーミングだと評価しています。

ドラゴンクエストⅡ

開発当初、『ドラゴンクエスト』はバランスが非常に厳しく、「難しすぎる」と評判でした。その原因は、調整の時間が足りなかったこと。任天堂に完成品を納品するまでに、誰も通しでプレイする余裕がなかったほど、スケジュールが逼迫していたのです。

納品後、初めてプレイした中村光一さんは、その難しさに絶望。しかし、堀井雄二さんは「まあ、なんとかなるんじゃない?」と楽観的で、笑い話になっていたそうです。


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