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感情という身体からのサイン

先日、施術を受けに来て頂いた方から、
「最近、病んでたんですけど、あるワークをしたら色々良い感じになってきました。」
と全くスッキリされていない顔で言われました。

要約すると、
①最近、「自分には生産性がない。」と漠然と考え、精神的に病んでいた。

②そんな矢先、夫にカレーをよそった所、
「こんなに食べれない。」
と言われ、その言葉に
「じゃあ、食べなくて良い!」
とキレてしまった。

③その後、何にでも感謝をしたら良いと言うワークを聞き、やってみた。

④そしたら、夫にキレることが減った。

とのことでした。

「ちなみに生産性がないことを夫から言われているんですか?」
と聞いたら、

「そんなことは言われていない。」
とのこと。

ホロソフィー®︎では
「身体は完璧」
を合言葉にしております。

これは身体が起こす
「症状」

「身体からのサイン」
であり、
「必要なことしか起きない」
という考えです。

例えば、僕は結構「お腹を壊す」ことがあります。

その様な症状に対して対処することを
「対症療法」
と言います。

経験がある方は多いと思いますが、
お腹を壊すと結構「不快」です。

だから、対症療法がダメな訳ではなく、
寧ろそれも大切で、
僕もいつもお世話になっております笑

ただ、あくまで症状は
「身体からのサイン」
だと思っているので、

その症状が
「何で起きたんだろう?」
と考えることも大切だと僕らは考えています。

僕の場合、お酒を飲み過ぎたり、脂っこいお肉などを食べると毎回お腹を壊します。

ということは、
恐らく僕の身体がそれらを消化するのが苦手で、強制排出しているのでは?
と個人的には考えています。

それなら、
「あんまり仕事の前は食べない様にしよう。」
と対策を打てるし、
自分の中で覚悟出来ているので、
精神的にも安心感が強いです。

これ、
感情も同じだと思うんです。

この方の場合、
①最近、「自分には生産性がない。」と漠然と考え、精神的に病んでいた。
→ 夫に確認した訳でもないのに、何で生産性がないとダメだと思うのか?は考えられなかった。
だから、漠然とイライラするという感情が出てきた。

②そんな矢先、夫にカレーをよそった所、
「こんなに食べれない。」
と言われ、
その言葉に
「じゃあ、食べなくて良い!」
とキレてしまった。
→漠然とイライラしていたので、ちょっとしたことで怒りという感情が出る。

・その後、何にでも感謝をしたら良いと言うワークを聞きやってみた。
→対症療法を行った。

・そしたら、夫にキレることが減った。
→一時的に症状は落ち着くが何も変わっていないから、モヤモヤとした漠然な不安が残る。

みたいな感じになってません?
という話をしていました。

それがダメな訳では勿論ないけど、
まだモヤモヤしているなら、

①の時点で、
「何で自分はこう感じるだろう?」
という
「何で?」を追求してみるのはどうでしょう?

ということで、施術させて頂きながら、
「何で?」
を二人で探っていきました。

そしたら、号泣されて

・夫ともきちんと本音でコミュニケーションを取れていないと自覚している。

・でも、普段の生活を優先して対症療法を重ねてきた。

・それも含めてありのままの自分を見るのが怖い。

などの色んな感情が出てきました。

「つまり、夫とコミュニケーション取れていないばかりか、自分ともコミュニケーション取るのが怖かったんですね。」
という話になり、

個人的には、
それがダメな訳ではなく、
そうして今まで自分を守ってきた面は否定しないことは前提だけど、

それで自分が限界なら、
そろそろ身体からのサインを真摯に受け止めて、
自分と向き合うことも大切なのでは?
という話をしていました。

「自分と向き合う」

言葉にすると簡単ですが、
自分には見たくない部分も沢山あるので、
キチンと見ていくことは結構キツいです。

例えば、僕は自他共に認める承認欲求の強い人間だと思います笑

これは「何で?」なのかずっと考えてました。

僕の場合、あくまで現時点で感じているのは、幼少期からの経験です。

僕は長男で、二歳年下に弟がいました。

両親からは直接言われたことはないと思いますが、

・弟の面倒を見る。

・親の言うことを聞く。

・勉強をする。

・運動が出来る。

などを求められていると勝手に思い込んでいました。

それが所謂
「良い子」
だと。

でも、弟はそういうの全く聞けない人でした。

だから、逆に親が構うのは弟ばかり。

僕は親の望む「良い子」をしているのに、構われるのは弟ばかり。

だからか、弟と自分を
比較して、
馬鹿にしたり、
事あるごとにケンカしたり、
マウントを取ったりしていました。

今思うと、
僕は親に構って欲しくて、
弟に嫉妬していたんだと思います。

当時はそんなこと全く信じられませんでしたが、
色んなことがあり、
今ではある程度「納得」しております。
(もちろん全部じゃないですし、それを感じたのは最近ですが笑)

上記しましたが、そんなことを親から言われた訳ではないので、完全に僕の思い込みです。

だとしても、
その部分だけでも認めたら、
個人的に本当に楽になりました。

やっぱり、
身体の症状と一緒で、
漠然と感情や思考パターンに振り回されているより、
ある程度でも、
「それが起きている原因」
を自分で把握しておくことは
精神的にも安心感が強いと思うんです。
(※もちろん、今でも振り回されまくってますが、、、笑)

実際、今では親のことも、弟のことも、その時必死だった自分のことも理解出来る部分が多々あります。

でも、それを見ることは自分にとって凄くしんどい時間でした。

正直、認めたくないことのオンパレードだったので笑

こんな感じで、自分に起こることや症状、出てくる感情の根っこは
自分でも
「そんなまさか。」
ということばかりだと思います。

そして、中には俄かに信じがたいことも山ほどあると思います。

そういう時、それらの感情を誰かのせいにしたり、対症療法で対応した方が楽だと思うんです。

でも、身体の症状と同じで、
感情は至る所から出るので、
一個一個に色んな手段で対応していると、
訳わからなくなってきて、
本人も訳わからないから、
側から見たら支離滅裂に見えることって結構あります。

それで良いなら、そのままで良いけど、

それがしんどいなら、まず
「何で?」という視点で自分の根っこを見ようとするあり方を持つこと
がそこから抜ける一歩だと思うんです。

恐らく、多くの方が
幼少期から自分を守るために、
自分を押し殺してでも、
今の生活が回っていくならそれで良いと思ってきた。

そんな側面があると思います。

それはそれで、その時は必要だった。

それは認めた上で、
相手とコミュニケーションを取ることは
自分とコミュニケーションを取ることだと思います。

もちろん、実際はこんな単純ではありませんが、
症状が意図的に起きない様に、
感情も意図的に起こせる訳ではなくて、
それはどこまで行ってもコントロールできる様な代物ではなく、
「ただ、起こっているだけ」
だと思います。

だとしても、
まずは
「何で?」という視点で、
自分と向き合おう
としてみて、

実際に自分で見てみて、

ちょっとでも納得しているのか?
していないのか?
は大きな違いがあると思います。

そして、その上で
今まで蔑ろにして来たなら、
今日が一番人生で若いので、
今日から地道にやっていくしかないのでは?
と個人的には思います。

もし、それが一人で難しいとしたら、
施術はそのお手伝いは出来る部分があると思いますので、
良かったらお近くのマスターホロソファー®︎にお声かけ頂ければと思います。

実際、この方も施術後は
「泣くだけ泣いてスッキリしたぁ!」
と言って帰られました。

ただ、これからも同じ様なことは何度もあると思いますので、
僕に出来ることがあればサポートさせて頂きたいと思っております。

最近、僕自身も色々なことがあり、
自分と向き合う時間が増えていて、

改めて、そこを地道にやって行くしかないと思っておりますので、
「見たくないなぁ。」
という弱気な自分も含めた覚悟を込めて、
ご本人に許可を頂きブログに書かせて頂きました。

長文になりましたが、読んで頂きありがとうございます。

中壽賀宣行


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