自分の本質を試されいるという話
人は、何か問題が起こった時に
隠れ蓑のように被害者で居ようとする
意識に逃げようとしてしまう。
自分を被害者に仕立てあげたなら
自分が意図した通り
周りが、被害者を選択した自分を被害者として
扱いはじめてしまう。
その一瞬は、
自分の中で、周りから気にしてもらえたり
かまわれた感覚を得たりして自分の中の
被害者意識が満たされたようにみえる。
被害者意識の先には、
加害者役が出来上がり、無意識に自分が引き受けなかった自分の課題を、
誰かに擦りつけてしまう。
そして、
そのあとに待ち受ける事になる
自分自身と向き合いきれなかった
「課題」は、
次へと
持ちこされてしまう。
自分が被害者という意識を
手放して、
本当の意味で、あるがままの
自分を受け入れる事が
できた時に
それこそ
本当に私は私を生きだしたと
言えるのかもしれない。
本当は、
誰のせいでもない
紛れもなく、
自分がどう
その物事を捉えるのか?
という投げかけに応えられる自分がいる。
そこには、選択できるという自分がいる。
外側で起きる事は、
自分の心の内側の投影なんだと
捉えた時に、
私は何を経験したいの?
私はどんな自分でいたいの?
そんな、生き方の本質に触れる度に
「自分が自分の生き方を選択できるんだよ」と問いかけ続けたい。
今まで自分を守ってくれた、
今はもう必要なくなった
被害者意識のパターンに
「ありがとう」を思いながら
それを手放して
また、一つ真っさらな
新しい自分と握手をしてハグをして生きていく。
私は私を生きているんだから。
違う事は違うと言える事。
自分の本質と繋がっているという事。
間違った事をしていたら
素直に謝れる心があるという事。
そんな自分を選び続けていきたい。
私を生きているのは、
紛れもない
私しかいないのだから、、、
PS 最近、立て続けに自分の生き方を試されるような出来事があり、これは、私がどう捉えて、どう伝えて、どう選択するかによって、随分と見える世界も、これから見ていく世界も変わるな〜と思いながら、今までのパターンを選ばなかった、私の体験談、気づきのシェアでした^^
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