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自分が生まれてからの話
私は、岐阜県飛騨市という情緒ある街並みと
大自然、山に囲まれて育ちました。
実家は自営業だったので、いつも家の中には家族以外の人も居て、今の自分の暮らしから考えるとまったくもって違う生活をしてきたんだなぁと染み染み思います。
私は、3人兄弟の長女として生まれ
祖父母も一緒の7人家族。
家では、母の妹の家族も仕事に携わっていた為
従兄弟の2人きょうだいを含めて5人の子どもがいて、まあ賑やかだし、やれ○○ごっこだの、私が先生になって学校や保育園でやった事を小さな学校として開校していました。
今思うと、その反動もあってか
今は一人っ子の息子で、
食事も大皿じゃなくて、それぞれ小鉢がついてゆっくり食べれる食事スタイルだったり、
自分の子ども時代とは真逆をゆくのでした。
どちらが、良い、悪いんではないけれど
私のこころの奥深い所では、
「家族だけで、ゆっくり時間を過ごしたい、、」という思いがあったの事は違いありません。
そんなこんなで、
高校を卒業する、17年間
今では、コロナで帰りたいのに帰る事が叶わない実家の飛騨を離れる事になりました。
あの頃の自分は、早く家から出たくて
3人きょうだいの中でも、人一倍の自立心があった私は、期待や楽しみしかない気持ちで、
その頃憧れた、ローリンヒルを想い
セミアフロのようなスパイラルパーマをかけて
東京へと旅立つのでした。
母は、あのパーマがある意味
御守り(今から一人暮らしをする私に誰も男の人が寄り付かないだろうと)になると内心では安心していたようですが、、笑
今では、想像もできない自分の姿、、
だけど、これも
わたしの一部。
part2に続く
#自分の生い立ち #育った環境#自分の生き方