自分を信頼することとは?
自分を信頼していると、
物事がスムーズに進んでいきます。
物理的な世界に於いては
この世のすべてのものは
一枚の紙のように、表と裏が
表裏一体となって成り立っています。
昼があって夜がある
夏があって冬がある
正しさや誤りがある
どちらかいいか悪いかでもなく
役割の違いがあるだけ。
誤りは、正しさがあって成り立つこと。
そして正しさの定義はなく、
住む場所や環境によって
正しさは変わるものだし
誤りがなければ、正しさもわからない。
どちらにも、プラスとマイナスの要素を
持ち合わせているもの。
お互いがお互いの存在を支えているもの。
どちらか片方にしがみついても
もう一方が常に追いかけてくるもの。
自分を信頼するとは
できている自分。
できていない自分。
という結果に囚われていなくて
無条件で、自分の存在を受け入れることが
できるという事です。
結果を怖がって、自分が本当に
やりたい事をやらせてあげない選択を
してしまったり、、
結果がどうであろうと、自分が本当に望むことを無条件で自分自身に体験させてあげることだったり、良くも悪くも体験から何かを感じさせてあげる事を自分に赦してあげること。
それは、無条件で自分の存在を受け入れている
という、状態でもあると思います。
この状態は、”自分を信頼している”
という事に繋がっていきます。
その反対に、
自分を信用している。
という状態はどうでしょう?
それは、何か条件つきで自分自身を
認めてあげるという事だったりします。
これができていれば認めてあげる。
・ここまでやったら、自分を認めてあげる。
・できていない自分はダメだけど
できている自分だったらいい。など、、
できる、できないの条件をつけているという
ことだったりします。
できなかったことに対して
・自分は人に迷惑をかける存在だ、、とか
・自分は人に役立っていない、、とか
まるで、自分への自己価値や存在価値まで
結びつけて自己否定したりする事になったりも
してしまうわけです。
その状態は、
持っている、持っていない、、とか
叶っている、叶っていない、、とか
常に条件がついている時だけ
自己を受け入れているという事になってしまいます。
こういう状態で生きていくと
常に、
無意識に緊張した状態が続いていきます。
できる、できないの
片方にしがみついたり、握りしめたり
まるで、それが
価値のように感じてしまってしいるからこそ、
そのできるという体験を欲しがるばかりに
できないと思わされる
出来事が思いきり用意されてしまうのが
自然の摂理。
その二元論的な物理的な考えからシフトして
二元を超えた、ニュートラルな視点が
無意識にも意識的にも
条件縛りから脱して、どんな自分であっても
受容し、自分への信頼が自然と芽生え
気づいた頃には、その状態に居た私。
と、いう事になるのではないかと思います。
そんな状態へと、身体から誘っていく
量子場調整は、現代に必要なツールとなり得るように、日々感じております。
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