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あなたはわたし。わたしはあなた。

他人に興味がないってことは
本当の意味で
自分自身に興味がないっていうことになる。

自分を深く知ろうとすることは、、、
他人を深く知ろうとすることと同義。

他人を深く知ろうとすれば、
それは、、
自分を深く知ろうとすることになるから。

むしろ、他人から
自分自身を教えてもらったり、、
気づかされることばかり。

他人をみて、
何か感じたり、
何か思うことは
自分の中で、、
いまだ赦されていないことであったり
怖れがあることを知ることができるということ。

そもそも、
”わたし”と思う”わたし”が存在していることが
認知できるのも、他人という存在があるから。


どんな経験も自分の観ている世界の
辛さや悲しみや怒りという領域から脱して
俯瞰して観ることができるようになると

他人から
外側の世界から
気づかされ、、
磨かれていくことばかりだ、、
と、、深く感じていくもの。

どんなに煩わしい誰かが居たとしても
その人から
あなたは何を見出すことができるだろうか?

自分自身の中に赦されない何かを
相手に無意識に投影し続けて
相手を悪者にしたとて
本質には辿り着くことはできない。

関わらないで生きようとしても
また、場所を変え、人を変え、、
追いかけてくるもの。

あなたを頑なにさせるもの。
それを真正面に観ることができたら、、
受け入れていくことができたら、、

他人という存在を意識して跳ね返すような
私とあなたは別なんです。みたいに、、
強く境界線を引く必要がなくなる。

それって、、とっても不自然であって
緊張が走るよね。

きっと、
そうしないと生きていけなかったんだと
思うのだけど、、
ずっと、それが続くわけではないんです。

他人は別のものだと思うかもしれないけど、、
それは、物理的には別なのだけど
意識の世界では繋がっている。


量子の世界を体感していくと
そもそもすべてのものが素粒子であって、、

すべてが何かを分けるものとしては
存在していないということ。 

この一生を懸けて
どれだけ人を大切にできるか、、

それは、
どれだけ自分を大切にできるか、、
ということに繋がっていく。

#自分とかないから
#量子の世界
#赦された自分
#他人から磨かれる
#あなたわわたし
#わたしはあなた
#共創する世界

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