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いくらでもクジを引いていい運ゲー

こんにちは、ホロンです。


「自分に嫌われない生き方」という本の中に、こんなフレーズがありました。

毎日のように学校で色々な子どもと会っていると、「人生は運ゲーでしょ?」という子によく会います。 (「運ゲー」というのは、運だけで決まるゲームのこと。古くからあるわかりやすいものだと、「クジ引き」とか「ビンゴゲーム」のようなもののことです)  

確かに、人生は運によるものも大きいと思います。そこは否定しません。  

その上で大事だと思うことはクジを引く回数に制限はないということです。  
普通のいわゆる「運ゲー」では、クジを引く回数も平等に決まっています。クジ引きで片っぱしから引きまくったり、ビンゴのカードを何枚も持ってプレイしたりすればズルでしょう。

しかし人生では、何度クジを引いても良いのです。

谷口 たかひさ. 自分に嫌われない生き方 (p.197). 株式会社KADOKAWA. Kindle 版.

「人生は運ゲーかもしれないが、クジを引く回数に制限はない」


これ、本当にそのとおりだと思います。


確かに、人生において運による要素が大きいこともあるのは否定しません。


毒親の元に生まれるかどうかなんて、自分では選べませんからね。


ですがそれでも、”今できること”はあります。


少なくとも、この記事を今読めているということは、インターネットに繋ぐ環境があるということです。


それなら、やろうと思えばnoteに何かしら書いてみることもできるはずです。


読んだ文章の感想を一言つぶやくだけでも、立派なアウトプットです。


あなただけしか経験してないこと、そこから学んだことは必ずあります。


それを発信するだけで、似たような境遇の人を支えることができるかもしれません。


例えば、僕はずっっっっっっっっっっと”発信すること”ができませんでした。


  • こんなこと言って炎上しちゃったらどうしよう…

  • 間違ったことを言ってしまってないだろうか…

  • 発信するからには誰かに役立つことを言わないと…

  • 断言してもみんなに当てはまるとは限らないじゃないか…

など、色々と「こうなったらどうしよう」と考えてずっと発信する勇気を持つことができず、X(旧Twitter)で一言つぶやくことすらできませんでした。


ですが、死ぬときに「結局発信してみたいと思ったのに全然発信できなかった」と後悔しながら死ぬのはどうかと思い、やってみることにしたのです。


結果、今のところ炎上騒ぎを起こすようなことにはなっていません。


「こんなことなら発信したいと思ったときにさっさと発信しておけば良かった」と心から思います。


もちろん、最初からうまくいくことはないでしょう。

僕も今でも、試行錯誤の連続です。


ですが、どんな文章の達人だろうと、100%誤解されることなく伝えられることはありません。


必ず、どこかで誤解が生じます。


どうせ誤解されるのなら、取り繕うことばかり考えても仕方ありません。

「自分はこれが好き!」と心から言えることを発信していく。
その方がはるかに大切だと思うのです。


取り繕うばかりではなく、素直に自分ができること、できないことを挙げている方が好感が持てますからね。


もっとも、そういう僕自身まだまだ「こんなこと言って〇〇と思われたらどうしよう…」と思ってしまうことは多々ありますし、書きたくないなーと思う日もあります。


それでも、自分が考えることを発信することで、誰かに刺さる可能性はあります。


めっちゃ成功している人を羨ましく感じることがあるかもしれません。

しかし、彼らは試行回数が多かったというだけ。


「失敗したくない」という気持ちは非常に良くわかります。


ですが、どれだけ一流のバッターだろうとも3割前後しかヒットを打つことはできないのです。


ということは、7割は失敗しているということ。


7割の失敗を恐れてバッターボックスに立つことすら拒否してしまったら、絶対にヒットを打てるようにはなりません。


打席に立ってバットを振る回数を増やしていけば、いつか必ずヒットを打てるようになる。

そう信じて、今日もこのnoteを書き続けます。


それでは、今日はこのへんで。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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