第一話 「じゃあ、敵だね」 (ときのそら・友人A・AZKi)
「ときのそらの詩が聴きたいって?」
「うん! 初代勇者さまのおはなし、大好き!!」
陽光の照らす表通りの片隅で、詩人は子供達に囲まれていた。目を輝かせて叫ぶ幼い少女に周りの子供達が僕も、わたしも、と元気な声を連ねる。
フードを被った黒髪の吟遊詩人は、微笑みながらそんな子供達をなだめる。
「わかった、いいよ。詠ってあげる」
彼女の言葉に、無邪気な歓声が沸いて辺りに響く。
「これは初代勇者ときのそらが、時空を越える力を手にする前。夜と戦った、最初の英雄のお話――」
大陸西方の都市ウェスタの平和な昼下がり。固唾を飲んだ子供達の前で、吟遊詩人はゆっくりと語り始めた。
* * *
「――夜が来るよ、そら」
傷口に染みるような怯えた響きで、私は彼女の声を聴いた。
実際、蒼い髪を短く揃えた彼女は怖がりだ。今にも泣き出しそうだった。
ただしこれは、彼女でなくても泣き出してしまうかもしれないけれど。
「ちょっとだけ多い、かな」
そう呟いて、ボロボロの剣を握った私は笑おうとした。上手く笑えたかはわからない。
二十一体。
それが私と彼女の周囲に転がる怪物達の死骸の数だった。
大きいのも小さいのも難敵で、そして一度に倒した敵の数としては過去最多だった。
私はとっくに傷だらけだし、手伝ってくれた蒼い髪の親友も無傷じゃない。
勇者なんて名ばかりで、使えるのは癒しの水の魔法だけ。
いきなり別の世界に召喚されて、村人の女の子と一緒に追い出されただけの私にしては大健闘だ。
だけど。
「夜」が迫っていた。
この世界を滅ぼしつつある怪物。
姿も力も様々で、正体もわからない恐ろしい彼ら。
日が暮れると現れるから、夜。
そう呼ばれている怪物は――丘を、山稜を、沈みかけた夕陽の地平線を、埋め尽くしていた。
「何千……ううん、何万……? きっとあれが、国を呑み込む夜の波なんだ……!」
「えーちゃんが言うなら、そうなんだろうね」
蒼い髪の彼女は、体を震わせて言う。私は頷く。
いくつもの国が、街が、人々が、あの夜に呑み込まれて消えていったらしい。
この世界はもうおしまいで、王様が最後に縋って召喚した私はできそこないで。もう誰も彼も、諦めてしまったらしい。
こんな世界はどうしようもないんだと、絶望に嘆いた人達の顔を、よく覚えている。
ただ、それでも。
「ねぇ、えーちゃん? 昨日は嬉しかったよね」
「……そら?」
私は夜の波から目を離して、後ろの街を振り返った。
小さな街だ。ほとんどの住人は逃げ出してしまって、残った人達も多くは生きるのを諦めてしまって、
夜に飲み込まれるのを待つだけの哀しい場所だった。だけど。
「私達が追い出されて、たった二人で旅を初めてから。始めて、私達に協力するって言ってくれた人達がいて」
ブラウンの髪が風になびく。
あの小さな街で、私は昨日、歌を歌った。どうせ死ぬのなら元の世界で好きだった歌をたくさん歌ってやろう、と。
そんなやけくそな気持ちもあったから、一番目立つ目抜き通りで何曲も何曲も歌った。
そうしたら。いつの間にか意気投合して、一緒になってご飯を食べて、一晩中盛り上がっていた。
希望を貰えたって。もう一度生きたいと思えたって、言ってくれた。
人数はたった十三人だ。世界を救うにはちっぽけすぎるのだろう。
それでも。
「嬉しかったな。初めて本当に、この世界を守りたいって想えた気がする」
「それは……」
笑う私に、蒼い髪の親友は苦しそうに表情を歪める。
それでも私は、彼女の瞳を見つめた。
「えーちゃん。あの子達がここまで来たら、あの人達はどうなるかな?」
「……衛兵なんていない。街壁なんて役に立たない。全員が逃げる場所も時間もない。みんな死ぬと、思う」
私は微笑む。この親友はいつも私に嘘を吐かない。それがどんなに残酷な現実でも。
それがなんだか、とても嬉しかった。
「そっか」
怖いのはいつも得意だ。
だけど今は、私もほんの少しだけ怖いから。
だから笑った。
私がこの世界で誰よりも守りたい、たった一人の親友の声を聴いて。
「じゃあ、敵だね」
私は刃零れした剣を掴んで歩き出す。
敵の数が何万でも何百万でも、関係なかった。
地平線はすべて夜。それがどうした。
一歩も引けないし、引かない。
「そらぁっ!!」
幾万の夜が来る。私は剣を掲げる。
世界を悲嘆で覆い尽くす、果てしない大波が迫ってくる。
水はとても大事だ。誰かにとっての水みたいな人になれたら、それでいいと今でも思う。
だけど今日、はじめて。
私は英雄に――勇者になろうと、決めた。
* * *
「そして、激しい死闘の最中。胸を貫かれ、命を落としかけた瞬間に、そらに宿っていた時空の力が芽吹いた。『諦めない』という強い意思だけが呼び起こせる、勇者の力。その輝きで夜の群勢を退けたときのそらは、世界最後の希望として夜との戦いに飛び込んでいくことになる――はい! 今日はここまで!!」
吟遊詩人がそう告げると、固唾を呑んで目を輝かせていた子供達が一斉にわぁっと叫ぶ。
喜びと感動、感想と続きの要求が一緒くたになった明るい狂騒に包まれ、吟遊詩人の少女は苦笑する。
困ったものだが、小さな聴衆達が夢中になる姿に、自分も喜んでしまうのだから仕方がない。
「明日も! 明日もぜったい聴かせてね!! まってるから!!」
そんな可愛い求めに笑って頷いていると、ふと子供達の一人が詩人を見上げて尋ねた。
「ねぇねぇ。ぎんゆーしじんののお姉ちゃん、名前はなんていうの?」
フードの下で少しだけ驚く。
それから顎に指をあてて、彼女は軽く悩んで、それから。
「そうだなぁ。色々あるけど――」
黒い髪に頬紅を差し。眩しい笑顔に、綺麗な声の吟遊詩人は。
「あの子達が呼んでくれたみたいに。AZKiって、呼んで欲しいかな?」
そんな風に、微笑んだ。