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エッセイ 夜明け前の子供たち

当直、朝5時半。
いつ日が暮れたのかも分からず、そろそろ日が昇るのかもしれないがそれを拝むことはない。

救急外来の一室で子供を半ば強制的に抑えながら手の甲に針を刺す。
泣き叫ぶ子供の声を間近で聞いていると、まるで高校生のときに友達に招かれたバンドライブの時のように耳が遠くなる。
普段は特に感じないが、この時間帯になって当直の疲労もピークに達すると子供の声が煩わしく感じてしまうのは事実だった。子供だって刺されたくないのは勿論なのだが、僕も好き好んで針を刺したいわけではない。

子供の泣き声に嫌気がさしてしまう明朝は、僕の今のメンタルと、僕の将来の子育てを少し不安にさせる。

点滴挿入をすっと終わらすと、部屋を出て、上がった肩を降ろす。
検査結果の待ち時間は数十分あり、患者の列は一旦途絶えたので部屋の外に置いてあったコーヒーを片手に、救急外来から外に出てみることにした。

まだ日は昇らず、辺りは当然のようにまだ暗い。半袖のスクラブではかなり肌寒いが、眠気を覚ますにはコーヒーよりも効果的だった。
自分が子供に感じてしまった感情に後ろめたさを感じ、暗闇を見上げ、回想をする。


思えば、僕は人が痛みを感じている瞬間に弱い人間だったはずだ。
医学部の学生実習のときに数回は卒倒したことがある。覚えている範囲では、小児科においては鼻に細い管を入れて鼻水を吸引するときだったはずだ。
泣き叫ぶ子供の横で寝かせられている自分がとても情けなくなった記憶がある。

その時、小児科の先生は

「人の気持ちに親身になれることが出来るんだね、素晴らしいよ」

と言ってくれたが、多分そんなことはない。そう言ってくれる先生の方が優しいはずだ、と気持ち悪さがこみ上げるなかで思った。


もうひとつの思い出は僕が小児科になりたての頃、患者がひっきりなしに来る小児科の救急外来の日直に先輩と入った時だった。

さすがにもうその時には医療に慣れて卒倒することなどは無かった。ただ僕は新米小児科医として不安と緊張に苛まれ、不慣れな点滴手技で針は血管にうまく入らなかった。

「あぁ、もう、なーにやってんのぉ。貸してみ」

先輩はそう言うとすっと僕と交代した。その言葉には余裕が溢れていた。
流れるように皮膚から血管へと針が進み、血が針の中に充満する。外側だけを中に進め、内側を抜くと血が滴り落ちる。まるでゴムの木から樹液が出てくるようだった。

点滴を繋ぐと、先輩は誰よりも母に優しく説明をして部屋を出た。僕は腰巾着のようにそれについていく。

部屋を出ると、営業スマイルを解いた先輩が僕に話しかける。

「どんなに良い診断して治療を計画しても、手技が出来なきゃなんも始まらないからなぁ」

先輩は笑ってそう言った。
すぐに悪態と弱音を吐く先輩だったが、患者の前で見せる笑顔と優しい言葉はかなりの高身長も相まって、子供の親に絶大な信頼と安心を与えていた。今でも僕は外来で話すときにその先輩を真似て話している、と思う。

また、先輩の言葉は当時の僕には新鮮で、まずは誰よりも早く正確に手技をできるようにして、誰よりもスピーディーかつ優しく救急外来の対応をできるようになろうと思った。

その意識によってか、手技の成功率は飛躍的に伸びた。また従来の性格もあってか効率的に患者を診ていくということだけに関してはかなりの自信がついた。
ただ、その過程でかは分からないけれども、人の痛みに対して卒倒する僕は完全に消え去り、疲労困憊の中とはいえ、子供が痛みを感じているときにそれを厭忌する感情さえ生まれてきてしまった。

人の細胞が時間と共に入れ替わるように、感情や記憶も入れ替わったり抜け落ちたりするのが普通なのだとは思う。ただそれが抜け落ちてしまったこと自体が悲しいのだ。ひっくり返したお盆も、割れたガラスも、こぼれたミルクも元には戻らないことは知りつつも、嘆いたり悲しむ時間はあっていいと個人的には思う。


でも世界はゆっくりと悲しむ時間をあまりくれない。僕のピッチから着信音が鳴り響く。恐らく救急車搬送の連絡だろう。
ピッチを取って通話に出ると、やはり救急車の収容依頼で、熱を出して痙攣を数分した子供が5分後に来るようだった。
もうしばらくはこの冷たい空気が吸えないと思うと寂しく、甲子園球児が土をかき集めるようにその冷たさを肺に沢山取り込んだ。

5分というのは意識しないとあっという間で、戻るとすぐに救急車は到着した。
外来に車輪のついた担架で運ばれてくる子供はすっかり意識が戻っていた。断定は出来ないが熱による一過性の痙攣で問題が無いことがほとんどだ。僕はほっと胸を撫でおろすが、子供の母親はまだ不安そうな表情のままだ。

「初めての痙攣でどうしたらいいか分からなくて」

母は絞り出すようにそう言った。

「救急車呼んでくださっただけでありがたいですよ」

僕がそう言うと幾分か母の症状が和らぐ。大したこともない自分の言葉で不安な気持ちを落ち着かせることが出来るのならばこちらとしても十分に嬉しい。

基本的に後遺症を残さないこと、けいれんをもう一度起こしてしまったらもう一度救急車を呼んでもらうこと、その他熱性けいれんの頻度、これからの対応。その説明は頭の働いていない明朝でもすらすらと出てくる。そんな説明を、全国津々浦々、どこかの医者が話して、同じような境遇の親を少しだけ安心させているとふと思うと、なんだかムズムズした気分になる。

痙攣の子を対応していると、さっきの悲しくて寂しかった感情はどこかへ行ってしまった。思い出そうにもその感情は元に戻らない。ひっくり返った盆がまたひっくり返ったのだから元通りなのか、いや違うか。

そうしていると先ほど採血をした子供の検査結果が出てますと看護師が伝えてくれた。カルテで確認するととんでもない異常値もなく、どうにか帰宅させて様子を見てよさそうだった。

採血結果を紙に印刷し、親子の待つ部屋に入る。子供は疲れたのか母の胸の中で寝ていた。それもそうだ。大人でさえこんな時間まで起きているのは厳しいのに、体調の悪い子供が夜明け前のこの時間に覚醒できるはずがない。

結果をざっと説明したあと、

「今日はとりあえず家でゆっくり寝かせてあげてください。また次回外来予約するので良くならなかったら確認させて下さい」

僕がそう言うと、母は緊張から解け、逆に意識してなかった疲労が前に出てきたように見えた。
針を差して泣かせてしまった子供を見て、また自分が嫌な気持ちになってしまったことを思い出し、子供の髪の毛にそっと触れる。

「よく頑張ったね、痛いことしちゃってごめんね」

寝ているので子供にはその言葉は届いていないと思うが、気持ちを手に込めて、髪を撫でる。万が一でも夢の中で僕の賞賛と贖罪が伝わればいいなと思う。

母は子供を抱いたまま会釈をして部屋を出る。もう時間が経ってるからきっと外は明るくなっているだろう。寝ている子供は朝日に反応して、ぼんやりと目を開けるだろうか。もし閉じたままならその一瞬の明るさだけ僕に代わってほしいと思う。
子供の眼前に広がる明るさを、老いた大人は渇望する。僕もまだ若いと思っているけど、その老いへとひたすらと流されていっているのは事実だった。

そんな散乱した思考の中で、カルテを書く無機質で規則的な音だけがこの部屋の秩序を律していた。
その音を頼りに、散乱した思いや願いをそっと心の中にしまって、僕は仕事に戻っていく。

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