悲しくて悲しくてとてもやりきれない。
このやるせない もやもやを
誰かに告げようか。
1968年 ザ・フォーク・クルセダーズさんの曲。
とても昔の曲ですが、わかりやすい日本語の歌詞の言葉の並びがとても綺麗で、心に突き刺さります。
正座してじっくり聴きたくなるような曲です。
たくさんのアーティストがカバーしていて、映画で使われることも多い曲。
映画の中で多部未華子さんが歌っているのもとても綺麗だった。あやしい彼女だったかな?
奥田民生さんがカバーしているのを初めて聴いて、とても刺さる歌詞だな、と思って調べた。
ありますよね。
誰のせいでもない、悲しみを向ける先がわからない、怒りの矛先がわからない。感情の理由がわからない。そんな時。
例えば、自然災害で被災したとか。
痛いほど伝わってくる。
見ているものの情景と感情だけが歌詞になったような曲。
だからこそ、いろんな状況下で共感できる。
今日は、それに近い気分。
感傷的で、ずっと泣いていた1日だった。
何があったわけではない。
何もないけど、過去の今の悲しいことがどんどん頭に浮かんできて、涙がボロボロ落ちてくる。
そんなときってあるよね。
こういう時は、もう受け入れてとことん悲しみに浸ることにしている。
そのうち、号泣になって、びっくりするくらい涙が溜まって落ちてくる。
目に涙が溜まってくる感覚がわかる。
しかし、頭の中というのは不思議なもので、悲しい記憶はひとつ蘇れば、次から次へと面白いように溢れ出てくる。
頭の中が、悲しいで埋め尽くされると、次は苦しい辛いが出てくる。
その記憶と何度も向き合っている。
そのたび、ちゃんと折り合いをつけて行くけど、何度も何度も出てくる。
それでも、少しづつ、苦しい記憶は減ってきている、ちゃんと折り合いをつけているからだろう。
ということで、どうしようもない日ではあったけれど。こんな日があるから、日常が輝いて素敵にみえる。
負の自分と向き合うことで謙虚になれる。
自分の気持ちを整理できる。
悪いだけではない。
良いこともある。
余談だが、
あまりにも涙が出てくるので、だんだん涙の経路がどこからどのようにこんなに溢れ出てくるのか気になってきてしまい、
感覚を研ぎ澄まさせて、涙の経路を感覚で追っていたら、涙が止まってしまって、追えなくなってしまった。
残念だった。
しかし。悲しいことから逸れると涙は止まる、は証明された。
もし、なみだが止まらない時は、涙の経路を感覚で探ってみてください。