自分の声を疑うことは、自分を楽にする一歩になる。
「こうなりたい」と言う願望は、ときどき自分を苦しめる、時があると思う。
ここはわたしにとってはとても難しい領域だったりする。
「こうなりたい」が、本心ではないときがあるから。
こうなりたい、こうしたい、こうなれれば、こうならなくては、と繋がってしまう時は、本当ではない。
時々、ここを振り返らないと大きな間違いをしている時がある。
自分がなりたいものではなくて、ならなければならないと思っているものを、願望にしてしまう。
それは、本当になりたいわけではなくて、こうならなくてはいけない、と自分を強制している。
これは、本当に自分を苦しくする。
自分が本当に求めているものは苦しくならない。
苦しいと思うなら、一度、振り返ってどうしてこうなりたいのかを考えてみる。
すると、ならなければ、やらなくては、こう見られないようにしないと、こう言われるからやらないと、周りの評価で動いているかもしれない。
だとすると、本当に苦しいだけ。
自分の声は、けっこう周りの言葉で固められただけで、自分の言葉を発していない時がある。
それに気付けたら、少しづつ変えられる。
自分で自分を苦しくしなくてすむ。
自分の声を疑うことは、とても大事。
意外とたくさん影響されていたりもする。