*プラントハンターは歴史に名を残す
今では当たり前のようになっている輸入花ですが、花の流通の歴史を見ますと「輸入花はプラントハンターがいなければ発展しなかった」と言えると思います。未知の植物を探す人類の祖先は食料を中心に探していたに違いないので、そういう意味では人類が誕生した500万年前から、ヒトは足があって移動していたのですから、プラントハンティングは人間の誕生と共にあった行為と言えるのです。
施設園芸の起源は2000年前、ローマ時代の経済成長に起源を発すると考えられるそうです。また、中世の僧侶や十字軍の兵士により外国産の野菜や果実が伝えられました。
大航海時代の始まりと共に活躍を始めたイギリスの「初期プラントハンター」は、人間にとって役に立つ植物(食料・薬用・香料)を求めて世界へ出て行ったのです。
プラントハンターの黄金時代の19世紀になってから、組織的・国家的な目的で派遣されるようになり、船団に植物学者や博物学者が乗り込むことが普通になって、彼らは体系的に活動するようになり、役に立つ植物以外の観賞用の目的で花を採集するようになりました。
一方、花という素材を受け入れる園芸の発展そのものは16世紀、キリスト教新旧両派の争いにともない、園芸の知識があったフランスの新教徒(ユグノー)が移住先であるオランダ、ドイツ、スイス、イギリスなどに園芸を広げたことが影響を与えたようですが、一般的には1630年代にオランダにおけるチューリップバブルで花が投機の対象になり、そのチューリップをキッカケにして一般の人に園芸が広まったようです。
園芸の発展は、イギリスの貴族が自分の庭に珍しい異国の植物を収集・栽培する趣味を持ち始めるようになり、18世紀中頃の産業革命で金持ちになった一般の人々も園芸に興味を持つようになり、拍車がかかったのです。
また列強諸国は安い原料を買い、大量に商品を売るために、アジア・アフリカ・南米に進出し、植民地化を進め、さらに強大化し、結果として、世界中の花を集めてまわることにもなって行きました。
そして、未知の珍しい植物は貴族などの富裕層を中心に多少上流階級の一般の人々にも興味の対象となって行きました。園芸の発展がプラントハンティングの発展とあいまってお互いを成長させて行きました。
☆参考文献:プラントハンター(八幡洋三郎著:講談社)、大航海時代(増田義郎著:講談社)