本気で病気に向き合うなら
『地球の時のステイタスなんかまったくどうでもいいのに
地球にいたころのように自慢したりマウントとったりしてくるやつがいる。』
ステイタス自慢や苦労自慢は宇宙でも嫌われるらしい。
人間のときは肉体や言葉の操り方があるから包みやすくても
意識体になったら「むきだし」なので「オレすごくね?すごくね?」が
全面に押し出されてくる。そしてその自慢だの承認欲求だのは「ネガ」だからエネルギーとしては「不快」なものだ。
『ステイタスも資産量も名声も関係ないのです。どんな意識をもって生きたか、しかないんです。』
カテキョは「清貧」を勧めているわけではない。
お金があろうとなかろうと、どういう心のスタンスで生きたかを問う。
そんなん、宇宙じゃなくて今この地球でも同じだ。
まして「意識の時代」と呼ばれる今、価値観は宇宙に近くなっている。
だからいろんなものが崩壊していくのだ。
そこに従来の価値基準に執着しているときっと道を見失う。
「風の時代だからみなさん自分の好きなように生きましょう!」
という先導も無責任すぎる。
意識の時代は外側に向かうんじゃなくて内側にこそ答えがある気がする。
内側のことが大事だから、内側のことが外側に影響するのだから
私たちは内側の整備をする仕事をしている。毎日毎日誰か泣かせながら。
泣くのだよ。置き去りにしていた自分を探す旅はハードなんだよ。
でも病気はそれを探さないことには根治に至らない。
何をどれだけ所有していようが、どんな有名な人とつながっていようが
自分を置き去りにした答え合わせは前より早くやってくる。
私たちもハードなネガリリースだった。今も続いている。
カズさんいわく「焼け野原のような状態」。
そんなに手放さないといけないものなのかどうかは本人次第。
だから「嫌ならやめましょう。それも選択です。」と伝える。
ネガまみれでも宇宙に帰れる人はまだましな方。
そろそろ「帰れない人」も増えてきた。
魂は無条件に愛の元へ帰っていく、なんて幻想だ。
夫は無条件に毎日妻の待つ家に帰って来る、くらい幻想だ。
どちらも、努力なしには成しえないこと。
『あなた方は人事も尽くさずに何を甘えてるんですか』
人でなくてはできない努力を人事という。
まだ人である自分をありがたいと思う。
まだ時間を与えられている命をありがたいと思う。
焼け野原だから見える景色がある。
焼け野原だから創造できる世界がある。
思い出すのは歌番組で「焼け野が原」を歌い
泣きながら裸足で去っていったCOCCOの姿だ。
カテキョは言う。禅問答みたいなことを言う。
『すべてなくなった場所にある。ないのにあるものがある。』
新しくなるというのはさっぱりすっきりクリーーーーンみたいな
さわやかなことではなく、自らの手で焼け野原にすることから始まる。
心の支えにしていたものが全部焼けてなくなってから
立ち上がった人が「病気」を越えていく気がしている。
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