メンヘラと呼ばれる話
初めまして、透(とおる)です。
noteを始めてみました。イメコンの話をしたりしなかったり。
今回はメンヘラの話。
メンヘラという言葉が一般的に使われるようになって久しい昨今、皆様いかがお過ごしだろうか。
私は高校一年生の頃(7年前?)からメンヘラと呼ばれている。
今使われているメンヘラって言葉の自分なりの定義は、
常に病んでいる人、他人に依存している人、極端に情緒不安定な人を指していると思う。かなりざっくり。
これは真の言葉の定義ではなく、みんなが軽率に使うメンヘラと使うときにどのような含意があるかというイメージ。
多少情緒不安定のきらいはあるし、他人に極端に依存していた時期もあったが(無事卒業)現在はそこまでだ。だから私は自分のことをメンヘラだとは思っていない。
ではなぜそう呼ばれてしまうのか。ひとえに私のツイートの内容だと思う。
ツイートがメンヘラくさい。Twitterでしか繋がっていない友人の友人くらいの距離感の子に、あのメンヘラの子でしょ?と言われたことがある。
ではなぜツイートからそれが伝わってしまうのか。
①思考がネガ寄りかつ厨二病だから
②感情・思考の言語化が好きだから
の二点あるんじゃないかなと。
①については、まあその通りなので置いておいて。
ちなみに厨二病の原因は西尾維新と久保帯人です。
今回話したいのは②について。
①のとおりネガ寄りで根に持つタイプなのでぐるぐると同じことで悩んだりモヤモヤしたりすることがよくある。
で、そのモヤモヤを解消するために現状の気持ちを文字にして発露するわけだ。その発散先が私の場合はTwitterだ。信頼できる人間が数人いるかいないかと小さな鍵垢で思いつく限りの言葉をぶつけている。時にはFF0のアカウントを使う。誰もフォローしていない、誰からもフォローされていない、私以外誰も存在を知らないアカウントだ。そしてたまに、いろいろな人が見ているアカウントで投稿する。多分これが原因。
使い分けは以下の通り
FF0
人様に到底見せられるものではない自分の汚い部分
特定の誰かの気分を害する可能性がある
あまりにも中身がなく乱雑
個人情報が駄々洩れ
小規模鍵垢
誰かの目に触れてほしいが大っぴらに人様に見せるものではない
受け取り手を選ぶ過激な内容
FF0で発露した感情をまとめた内容
日常垢
FF0、鍵垢で綺麗に言語化できた内容
同じ痛みを持つ人がいるだろうと思えたもの
自分の感覚を誰かに知ってほしいと思ったとき
そしてこの日常垢でのツイートを見て、みんなは私のことをメンヘラと呼称するのだと思う。
だったら日常垢でツイートするなよ、かまってちゃん乙。
はい、その通り。
でもそれは誰かに同情してほしかったり、慰められたかったりしたいわけではないのだ。人の目に触れる、自分がこういう考えを持っている、自分は今この考えに到達したということを記録として残しておきたいだけで。あわよくば同じ考えの人がいていいねでもしてくれたら嬉しいなってくらいの気持ちだけで。
自己満足で辿り着いた答えを誰かに見てもらいたい、そんな気持ちなんだと思う。
大変だね、可哀そうだね、そういう言葉を求めているわけじゃない。
感情の発露と、その感覚をわかってくれる人がいたらいいなという希望なのかもしれない。
結局共感を求めているだけじゃねーかこのクソメンヘラと思ったのならそれはそれでいいのだ。
やたら自分の感情に共感してもらいたがる人をメンヘラと定義するような人もいるかもしれないし。
でも人って他人に理解されることで生きていける生き物だと思うから、共感を求めることは悪いことじゃないと思いたい。
だから私はこれからも自分の思考をうまく言語化できたときには、日常垢でツイートするだろう。
ちなみにTwitterを使っている理由は手軽だから。メモ帳に残すとちゃんとした文章で書かなきゃって気持ちになるけどTwitterだったら文字通り呟きでいいから。あとは日付が残るから。
あのときの自分こんなこと考えてたんだ~って振り返るのも楽しいし、死ぬほど病んでるけど何が原因か思い出せなくてウケるなってときもある。
ここまでぐだぐだ書いてきたけれど、言いたいこと。
言語化されて出てきた内容はネガティブで病んでいて不幸な内容かもしれないけれど、言語化して自分の体内から吐き出す行為は自分を幸せにするための行為だし、自分なりに前を向くための取り組みなのだ。
辛いことがあったら吐き出していいと思う。吐き出すことで見えてくるものがあるし、自分の中の見えなかった感情が見えてくることもある。わけのわからないものに支配されるより、どうしてそう感じるのかを深堀していったほうが溜めこむよりよっぽど健全だ。自分が次の道に進むためにどうしたらいいかを考えるための作業として感情・思考を言語化するというプロセスを踏んでいるわけだ。
メンヘラって言われるのが嫌なわけじゃないけどこういう風に考えているんだよっていうこれもまた一つの自己満足な記録として今回のnoteを残して終わりにする。