クライミングに人生をかけたただのクライマー
ボルダリングを青森県青森市で始めた。現在は今まで行こうとも思わなかった愛知県で登っている。クライマーとして人生の目標を達成するために。
最初は何人かの友達と遊びに行っただけだった。
「必ずボルダリングは面白い」その直感はあった。その時の私は筋トレにハマっていて、パワーなら余る程あると思い、しっかりBIG3フルセット(バーベルスクワット・ベンチプレス・デッドリフトの3種目)追い込んでから登りに行った。
もちろん結果は酷いものだった。今考えると完全にクライミングを舐めてるし、実際5級1本も登れてなかったと思う。でも本当に楽しかった。必ずもう一度来ようと思った。
その時は人生の目標なんてなかった。生きていても意味が無いな。迷惑がかからなければいつ死んでもいいと。
別に死にたかった訳でもなかったが、いわゆる希死念慮というものだろうか?
確か28歳頃のことだったと思う。新卒で入社したむつ市の会社を辞め、八戸市に支社がある会社に就職し、高校以来の実家暮らしを始めた。そこで本格的にクライミングにハマっていった。
筋トレでスポーツへの苦手意識が薄れていたため、習慣化するのは容易だった。
運動神経があるわけでもなく、成長するスピードは遅かったが、少しずつ自分が強くなっていく感覚には病みつきになった。
また、同じ時間を共有することでクライミング仲間は増えていった。
基本的に個人競技であるスポーツクライミングであるが、同じ岩や壁を共有する。体験を共有する。共に動きを考え、共に登り、共に研鑽する。
趣味のクライミングにばかり充実感を覚え、恥ずかしながら仕事には全く充足感を感じていなかった。もちろん自分なりに努力はしたつもりだった。どうすれば売上が上がるのか、本を何冊も読み、体験談を参考に飛び込み営業をした。結果も気持ちもついて来なかった。そんな能力もなかった。
人生でクライミングほど充実したことはなかった。怪我をしても努力したい(クライマーには怪我はつきものである)と思ったし、絆もたくさん出来るし、何より楽しかった。
そんな時に思い立った「好きを仕事にする」。今思うと実に安易な言葉に飛びついたように聞こえるが、相当な覚悟があった。
30年近く住んできた青森県。大学からの友人とも、クライミング仲間とも、家族とも会えなくなってしまう。今よりも給料は安くなるだろう。特に自分にクライミングの実績がある訳でもない。もう30歳にもなってしまう。
ただの1人のクライマーだ。
それでも、全ての時間をクライミングに捧げようと思った。クライミングのことばかり考えていたかった。クライミングに人生を懸けてみようと思った。
「人生一度きり。やらないで後悔するより、やって後悔した方がいいんじゃ無いかな。」八戸のジムのオーナーの言葉が後押しとなった。
夜行バスに揺られ、遥々静岡まで面接に行った。
長く続けられるようリードクライミングのジムに転職した。著名な岩場も近く、名古屋も近い。人生を棒に振らないよう失敗しても大丈夫なように柔軟性を持たせた上で決断した。
そこでは一年と少し勤めさせてもらった。結論から言うとそこまで仕事への充足感は得られなかった。だが、トライしてよかったとも思っている。
燃え尽き症候群にも恐らくなっていたのだとも思う。3ヶ月ほどなくして慣れてきた頃に、急激にやる気を失っていた。
毎週クライミングの実力は上がっている実感はあったし、人間関係も少しずつ出来ていたし、セットするのも楽しかった。
ジムスタッフあるあるだと思うのだが、時間が余るのだ。持て余している時間が耐えきれなかった。「自分が今この時誰にも必要とされていないのではないか?」と錯覚するほどに。
辞める決断は何度だって辛い。青森県から飛び出してきたこととも向き合ってきた。汗だくになる肉体労働も乗り越えてきた。上司の叱責も乗り越えてきた。
転職は辛く、多大なエネルギーを消費する。退職したい旨を伝えるのは慣れるものではないし、引っ越しも疲れる。「違う仕事でもクライミングを続けられる時間はあるだろうか?」「クライミングで成長し続けられるだろうか?」「クライミングが出来る生活が出来るだろうか?」
今は愛知県で辛い肉体労働をこなしながら、なんとか週3以上でクライミングをしている。愛知県のクライマーのレベルは高く、私より上手い人・強い人はざらにいる。私は今や一般的なただのクライマーに過ぎない。
だが、クライミング人生を歩んでいるうちに、いつの間にか「死んでもいいや」という気持ちはごく小さなものになっていた。人生の目標が出来たからだ。他の人じゃなく、「自分」がどうやったら、4段と5.14を落とせるのか。
たとえこれから仕事で成功しなくても「俺はクライマーなんだ。自分の壁と向き合い続けるんだ」と言う支えが出来た気がした。
私の話を聞いて、「こいつただのコミュ障で、仕事が続けられないだけじゃない?」と言う人もいた。「こいつ最高にぶっ飛んでる!面白い!」と言う人もいた。
クライマーには歴史がある。生まれた土地や体格、出会った人、仕事。なんでもなさそうなクライマーに見えても、人生を懸けて向き合っている人もいる。
それぞれの理由で自分の壁に向かっている。
その理由をクライミングから貰いました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?