ヴァスコ・ダ・ガマにお願い〜スパイスマーケットを彷徨って
インドで風邪に見舞われつつ、ケララ州のコチに戻ってきた理由は、輸出を支援する政府機関のスパイスボードのオフィスを訪ねるためでした。
カルダモンの産地イドゥッキ地区ではオークションの役割も担っていたスパイスボードですが、コチのオフィスではオークションは行っていませんでした。ケララ州は胡椒の産地であるにもかかわらず、オークションはまだ見たことがなかったので、何とか見る方法はないかと尋ねたところ、「フォートコチ」で行なっているという胡椒のオークションの住所を教えてくれました。
開発部門に移動し、シェニマーさんにスパイスのサステナビリティについても話を聞くと、スパイスボードの研究機関であるインドスパイス研究所(IISR)でより詳しい話が聞けると言われました。しかし、研究所はコチから電車で北に3時間ほどのコジコード(旧称カリカット)に位置しており、農業研究所の管轄にあたるため、母体の許可が降りないと見学ができないということでした。
「この数日の滞在のうちに許可が降りるかな…」
そんな不安はひとまず置いておいて、ウェブサイトにあるそれらしいメールアドレスに訪問の目的と希望日を書いてメールをしました。相手はインドの国立機関。すぐに返信があるとも思えないので、掲載されているあらゆる電話番号に電話をかけてみました。しかしどこにも繋がらず、手詰まり状態に。
気を取り直して、メールの返信を待っている数日のうちに、教えてもらった胡椒のオークションに行ってみることにしました。ヴァスコ・ダ・ガマのお墓があることでも有名なフォートコーチ。現在経済の拠点は「エルナクラム」という内陸に移りましたが、かつてはフォートコチが貿易の中心地としてケララ州の重要な役割を担っていたそうです。ケララ州で一番古いスパイス市場「マッタンチェリー スパイス マーケット」があると聞いて、合わせて訪ねてみることに。
「ジュータウン」(Jew Town)と呼ばれる、15世紀から16世紀にやってきたユダヤ人の移住者が築いた街の中心地に、胡椒のオークションのオフィスはありました。少しがらんとしたオフィスに入って、担当者に話を聞くと、残念ながら現在政府の新しいレギュレーションによりオークションがストップしており、3月から再度再開する予定だと言われました。
またもやあてが外れて落ち込んで歩いていると、そのジュータウンにマッタンチェリー スパイス マーケットがありました。かつていたユダヤ人の多くはイスラエル建国を機に街を後にし、残された家々は、ホテルやカフェに改装され、家財もアンティークショップへの供給源となって、現在は観光地と化しています。そこに点在するように、スパイスショップがありました。
あるスパイスショップのオーナーは、イドゥッキ地区から移住し、4年前にお店を始めたそうで、スパイスの産地である故郷のネットワークを生かして、独自に調達したスパイスを販売していると話してくれました。さらに、インドスパイス研究所からも近いワヤナードという地区からも胡椒を仕入れていると教えてくれたのです。
また、ジュータウンの外れには、胡椒をふるいにかけてダストを取り除く作業をしている施設がいくつかありました。少なくとも、この地域が胡椒の流通にとって大事な拠点となっていることは、確かなようです。
そこから1kmほど歩くと「Trading Company」と書かれた看板のある倉庫が立ち並んでいました。ふとコリアンダーシードの香りが漂ってきて足を止めると、広い庫内に大きな袋がずっしり積まれていました。目算で50kgの袋が100袋以上はあるようです。中にいた従業員の男性に、
「このコリアンダーシードはどこから買い付けていますか?」
と聞くと、
「グジャラートからだよ。クミンシードも同じくね。」
との答えが。グジャラートは以前から旅の目的地として予定していたので、思わず嬉しくなりました。隣の倉庫にも話を聞くと、ちょうどこの日大量の唐辛子を仕入れてきたそうです。ホールのまま輸送されてきた唐辛子は、その後エルナクラムにあるスパイスメーカーのもとで、マサラの製造に使われるということでした。そこで、ここでも産地について聞いてみました。
「これはアーンドラプラデッシュのグントゥールという街から買い付けたもの。何といっても唐辛子といえばグントゥール。インド最大の唐辛子の産地だからね。」
実はケララ州の次の目的地が、まさにこのグントゥールだったので、点と点がつながる感覚に心が弾みました。
複数の人に聞いた話をまとめると、貿易の港として現在もフォートコチを利用しているスパイス業者は多いものの、人口増加とマーケットの成長とともに、分散するようにしてエルナクラムに拠点を移す業者が増えたようです。スパイスの種類によって生産地が異なるため、インド各地から届いたスパイスをこれらの倉庫に集約し、そこから卸売やメーカーに納品するという流れができているようです。
3日経ってもインドスパイス研究所の訪問許可に関するメールは返答もなく、コチ滞在のリミットも迫っていたため、一か八かコジコードに行ってみることにしました。電車を降りてホテルのあるビーチ方面に向かう道の途中、進行方向に大きな屋根が200〜300mほど続く巨大なマーケットが見えてきました。道の途中から場内市場に入っていくような造りで思わず大興奮。スパイスを積んだ何台ものトラックが止まり、両脇の建物へとせっせと運び込んでいます。唐辛子やコリアンダーシードやクミンシードのような、ケララ州以外で生産されたものも多く扱われていました。
何人かの商売人に声をかけましたが、英語ができる人はほとんどいませんでした。それもそのはず、直接海外に輸出している事業者はいなかったからです。唯一英語で話をしてくれた男性が、このマーケットはかつて繊維が多く扱われていたこと。スパイスの流通先はほぼケララ州内で、輸出している企業はほぼコチに集中しているということを教えてくれました。
胡椒やメース、クローブ、シナモンなどは、コジコードから近いワヤナード地区のものもありました。
「そうだ、インドスパイス研究所にフラれたら、ワヤナードのスパイス農家に行ってみよう。」
インドでの旅はプランBが必須。良くも悪くも、思いも寄らないことが起こるから。
ホテルについて一息。海沿いを歩いてみることにしました。ヴァスコ・ダ・ガマが来航したことでも知られるこの地を、彼と同じようにスパイスを求めて旅をしていることにロマンを感じつつ、インドスパイス研究所に無事辿り着けることを願うのでした。
無事インドスパイス研究所に行けたのか?次回へと続きます!