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汚いカフェに触発されて資格を取った話

ある店との出会い

 引っ越したばかりの街で私は飲食店を探していた。住環境の中に居心地の良い飲食店があると嬉しい。ちょっと読書しながらゆっくりできるカフェがあることを期待しながら散策してみると、個人経営のカフェを発見した。google map の口コミも良い。入ってみる。

異空間

 期待とは裏腹にそこは掃除されていないことが一目瞭然の空間だった。物事の良いところを数えた方が人生が豊かだと思う私は、とりあえず『年季の入った場所だなぁ〜』という言葉を心の中で発し、己のホコリセンサーにフタをした。そしてそれ以上この空間に対して深掘りしないように努めた。

 さてと。気を取り直しておしぼりでテーブルを拭く。一瞬で黒く染まる。身体が強ばる。こんなテーブルに何を乗せてもリラックスできかねると思いつつ、新生活をスタートするにあたっての近隣リサーチを進める意志を固めてメニューを開く。

 コーヒー1杯300円。他のドリンクも充実しているがどれも450円以下。ケーキやトーストはすべて300円以下。総じてかなりリーズナブルである。小腹が空いていた私は、トーストひとつと紅茶のメニューからストレートのアールグレイを注文した。

心拍数が上がるカフェタイム

 待っている間、なにを見るともなく店内に目を泳がせてみると、窓から差し込む午前中の美しい日差しが、空気中を舞うおびただしい量のホコリを煌めかせていた。それは入店した時に分かっていたことなので、静かに店主の許可を取って窓を開ける。風が吹く。店内の奥からホコリが舞い上がって煌めきが増加している気もしたが、私はとにかく野外の空気に触れたかった。他の客が近くにいないこともあり、私は自分の近くの2箇所の窓を存分に開けて空気を巡らせた。窓ガラスの曇りから意識を逸しながら席に戻り、キッチンに目を向けた時、心拍数が上がった。

見間違いであって欲しい

 キッチン前のカウンターには常連客と思われる男性が座っており、店主はその男性客と談笑しながらパンを扱っていた。パスコの超熟の袋が破かれる。超熟か、とも思ったがこの環境下では手づくりパンより安心感がある。これから私が注文したトーストを焼くのだろう。

 続いて目に入ったのはトースターだ。物事の良い面に着目したい私のボキャブラリーから『ダメージ加工されたラスティなオーブントースター』に一旦変換されたものの、その言葉ではフォローし切れない庫内の焦げつきが目に刺さった。
 ただただ汚い。汚すぎる。前面ドアのガラスもガビガビに焦げており、閉めたら内部観察は不可能。投入された白いパンとのコントラストが激しいトースターであった。

 トースターの外観に驚いた目を休める間もなく、私の視界に新情報が飛び込む。心拍数がまた上がる。トースターのドアを閉めた店主は、常連客との会話に花を咲かせながらキッチンスペース内で自分の爪をやすりで削り出したのである。

すべてが想像を超えていく

 パルミジャーノチーズを削っている姿との見間違えであって欲しかった。

キッチンで削るのに相応しいのはチーズ

 しかし何度見直しても、残念ながら店主はキッチン内で自分の爪をリズミカルに削り落としているのだった。ゴミ箱の用意もなく、床にダイレクトに降っていく爪の粉。そして、トースターが焼き上がりの鐘を鳴らすと、店主は「フッ!」と爪先に息を吹き掛けて爪の粉をキッチン内に飛散させた後、手を水洗いすることなくそのままの手でトーストを皿に盛り付けたのである。
 私の衛生観念とはまったく違うルールで展開される景色の連続に、言葉を失った。

『お待たせしました〜』

 ほら。運ばれてきたよ。どうすんのこれ。食べるか。否か。自問自答する。

 外食業界の闇が深いのは知っているが、この店はオープンに闇である。闇を隠してない分、親切ではある。近所を社会科見学中の私は、闇の体験としてすべてを受け入れることにした。

 パンはパスコの超熟なので、普通に美味しい。闇の景色の中でハードルが下がっていたので納得しかけたが、途中で自宅の清潔なキッチンで自作した方が格段に安心感があることに気がついてしまった。お金を払って嫌々食べる外食のトースト。こんな体験はこれが初めてで最後にしたい。

望ましい茶器のイメージ

 トーストの製造工程ばかりに目を奪われていたが、紅茶もなかなかのものであった。出された茶器に茶渋がついている上に、カップは欠けていた。欠けているのは口を切らない位置とはいえ、修繕しないまま客に提供する感覚に、言葉の通じない辺境の地に来てしまったような不安が押し寄せる。
 一口飲む。味が薄い。アールグレイなのに香りも薄い。単なる茶色いお湯である。しかも、なぜか漂うミント系ハーブの余韻が余計な演出をしていた。私は一体なにを飲まされているのだろう。メニューにハーブティーがあることを思い出す。茶渋と目が合う。ハーブティーをふるまった茶器をよく洗わず、そのままアールグレイの茶葉を入れていることが容易に想像できた。

 私の心には『なぜ洗わないのだ』という怒りに近い疑問が間欠泉のように湧いてきていた。

アイスランドの間欠泉

 その疑問の答えは簡単。この店内を舞う、陽光に照らされて煌めくおびただしい量のホコリと、一拭きでおしぼりを黒く染めるテーブルが『これが店主の感覚だよ~』と教えてくれている。

 価値観の不一致がはっきりしているカフェなのだから、なぜ洗わない?は愚問だろう。改善は望まず、二度と行かないことがお互いのためである。ただ、保健所は何の仕事をしているのだろうという疑問は残った。

用をなさない食品衛生管理者

 この世に食品衛生管理者という資格があり、飲食店を営むには必須条件となっているはずだが、この店の衛生観念からして資格は意味をなしていないと感じた。衛生管理をする気がなさすぎるのに営業できているのは、店内の不潔さをなんとも思わない感覚の人が集ってお金を落としているということだろう。
 絶望である。近所のカフェが不衛生なのに人気だなんて、悲しすぎる。google mapの口コミが良かったりすることも追い打ちをかける。この地域の衛生観念はどうなっているのだろう。ひどい地域に引っ越してきてしまったかもしれない。
 店を出てから、誰か!まともな食品衛生管理者がいるカフェをやってくれませんかー!と叫びたい気持ちになった。

そうだ、私がやろう

暗いと不平を言うよりも
進んで灯りを点けましょう

カトリック教会

 上記はMr.Childrenの桜井さんが遠い昔に言っていた言葉である。調べたらカトリック教会由来の格言のようだが、無宗教ながらこれをそっくりそのまま取り入れて大人になった私は『ここはずいぶん暗いから灯りを点けるか』と腰を上げることにした。

 近所を探しても徒歩圏内に私の好きなカフェはない。残念だがそれが現状である。徒歩圏内に寛げるカフェがひとつもないなんて街が死んでいると思う。なので、欲しいものは自分でつくることにした。

早速、最低限の資格を取った私

 いくら文句をいっても喜びは生まれない。喜びが引っ越し先にないのなら自分で補うことにしよう。あまりに価値観が違うカフェの存在のおかげで、新しい世界を拓く原動力になった。

 オープンまでどういう工程を踏むのか探りながらですが、とりあえず自分のいる場所に夢を持って暮らしていきたい。

 「ここに住んでて良かった」と思う街のスポットが今後増えることを願って。

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pika
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