引き算で考えて自分らしく生きるかっこいい人
最近よく会う人がいる。
知り合ってまだ数ヶ月だけど、たいへん仲良くさせてもらっている。週1回は会うし、今週は3度も会った。
その人はとてつもないオーラをまとった人だ。
ぼくも仕事に命をかけてきた気がしてたのだけど、その人の前では単なる頑張ったことのある凡人でしかないと自覚するしかない。この歳になって、改めてその感覚になれたことはたまらなく嬉しい。
その人は西麻布で30年以上お店をやっている女性料理人だ。
その人は人を寄せ付けないオーラをまとっている、でもみんなその人に、その仕事に寄せ付けられて離れない。
その人はメディアにも滅多にでない。いわゆる取材お断りの人だし、お店。面倒なことになりたくないらしい。
先日、閉店後に、珍しく取材を受けたという昔の雑誌の記事を見せてくれた。15年くらい前のおしゃれ女性誌にうつるその人の佇まいはあまりにもかっこいいのだけど、今と同じことを言っていた。
「みんな足し算で考える。私は引き算で考える。」
自分が何をしたいかを考えて、どうしても必要なもの。
その人にとっては美味しいものを食べて好きな料理をすることらしい。その軸が決まったら面白いほどにその他を削ぎ落とすことができたらしい。
最近プライベートでご飯に誘ってもらえるようになった。どのお店に行っても、ペーペー扱いだ。一応多少はまあまあな起業家なつもりなんだけど、それもまたたまらなく心地よい。その評価でいい。まだ何も成し遂げてない。
そのお店には長いと30年以上。大体のお客さんは10年以上通っている。
ぼくはまだ数ヶ月のお付き合いなのにその人がこんなにぼくと親しくしていることに皆さんビックリされる。普通これくらいの距離になるには3年はかかるらしい。というか口を聞いてくれるようになるのに3年はかかるそうだ。
それだけで十分だ。それで十分すぎる。なかなかすごい常連の方々に言われるたびに、驚かれるたびに思う。
モノマネでしかないけど、引き算する。ぼくも仕事を命をかけてやろう。美味しいものも食べながら。
自分らしくあるということは、自分らしくないことを誰になんと思われようと言われようとやらないということなんだと思う。その自分を正しく評価してくれる誰かが必ずいるし、いないなら足りてないだけなんだと、その人を見て思う。
(画像は全く関係ない先日出張ついでにお邪魔した大山の朝焼けです。)