日記┊2024.8.26~9.1

2024/08/26(月)
 どうにかベッドから這い出してバイト行ったけど、小説のことは考えられず自殺について考えていた。帰ってからネットで首つり用のロープを買った。ショッキングピンクのクレモナロープ。
 小説家の養成学校やシナリオスクールをいくつか探して、試しに資料請求をしてみた。ほんとに金を払う価値があるのかわからないけど、あと三年で自殺するのならできること全部やっとかないと。家賃キツいから実家帰んないと通うの無理だろうなー。


2024/08/27(火)
 バイトしてるときに小説の修正案を思いついて、帰ってからメモに書き出してみたけど、やっぱりそれほど革新的なアイデアに思えなかった。とはいえ、これで書いてみるのも面白そうではある。懸念点は回想を多用する構成になっちゃうところで、基本的に小説において回想はタブーっていうか、かなり工夫しないと扱うのが難しいもんでもある。いっそ時間軸をもっとぐちゃぐちゃにしてみた方がいいのかもね。
 考えていたのは、やっぱ僕はあんま他人に興味が持てなくて、とにかく自分のことを書きたいんだろうなってこと。ならいっそ開き直って、もっと独善的で狭量な視野で書いちゃった方がいい。そういった一人称の語りって客観視してみれば滑稽だったりもして、たとえば主人公が他人から嘲笑される描写があっても面白い。所謂ネトウヨとか陰謀論者だって、当人は真面目だけど傍から見ると滑稽だったりする。ずっと前、地球平面説を信じる人たちのドキュメンタリーをみて、そのことを改めて実感した。僕は僕の話を書こう。今はそれしかできない。空っぽになるまで気持ち悪い僕のことを書く。
 今日はSさんシフト入ってないのに急に来てくれて、餞別ということでお菓子を渡してくれた。有り難い。僕はずっと周りのひとに恵まれている。ずっとクソなのは僕だけだ。僕さえいなくなれば世界は平和なのにな、なんでこんなところにいるんだろう。


2024/08/28(水)
 時系列のシャッフルとか信頼できない語り手とか検討しつつ、小説の構成を気まぐれに考えていた。挫けても結局、気づいたら創作のこと考えてる。とにかく完成させることだ。でなければ僕は僕が生きていることを証明できない、という感覚がある。自意識の膿をひり出す手段が物語であり、そうして初めて生きて、存在できて初めて空っぽになれる。空っぽで満足して死ぬか、もしくは生きるか。いま考えられる選択肢は、満足して死ぬか、諦めて死ぬかだけ。諦めも満足だから同じことかもね。


2024/08/29(木)
 ぐっすり眠って、押井守の『紅い眼鏡』を観て、寝たりなくてまた眠った。寝た気がしない。それにしてもそろそろ創作活動に本腰入れて復帰しないと、なんにもなくて気が狂いそうになる。
 養成学校の資料が届いた。行くとこほとんど決まっているけど、とりあえず候補を検討。


2024/08/30(金)
 いくら寝ても眠くって、バイトまでなんにもできなかった。ていうか今日が最終出勤って、出勤してはじめて知った。久しぶりにニートだ。自由と引き換えの金欠、そして焦燥。


2024/08/31(土)
 養成学校に電話をして、授業見学をしたい旨を伝えた。授業形式としては合評会らしく、授業で扱う在校生の作品をメールで送ってもらった。大学の授業も合評会だったから、それの延長って感じかも。
 いまオーディブルで聞いてる創作論の本をもとに、亀のスピードで人物設定や構成を練り直している。いつ書き上がんのかね。
 台風が来る日に劇パトみようって決めてたけど、昼過ぎにはすっかり雨も上がっちゃった。不謹慎かもけどやっぱ台風ってわくわくする。


2024/09/01(日)
 ニート期間って気力も湧かないし生活習慣もガタガタんなるので働かないとだめだなあ。外部からの刺激が緩慢になると情動もまた緩慢になるし、刺激が急激になると情動の緩急も激しくなる。後者の方がずっと良いってわかってるけど、それに耐えきれるほどまだ強くない。
 さいきん押井守の映画を見返している。あらためて観てみれば、主人公が〝信頼できない語り手〟のケースがかなり多い。『紅い眼鏡』も『迷宮物件』も『トーキング・ヘッド』もそうだ。押井守の作家性を鑑みれば当然っちゃ当然。そういえば『GHOST IN THE SHELL』と『イノセンス』も擬似記憶や電脳ハックをモチーフとして、人間の認識能力の不完全さ=現実の不完全さに言及していた。たんなる作劇としての〝信頼できない語り手〟〝叙述トリック〟ではなく、それそのものが作品のテーマ性とがっちり絡み合って成立していてこそ。僕もそういう小説書くんなら意識しとかないとなあ。相変わらず進捗はだめだめだけど……。

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