芸術と生活の一体化がデジタル技術によってより楽しくより身近に
これからのインテリア
1. ウィリアムモリスとアーツアンドクラフツ運動
当社のA&Cギャラリーの名前はこの「Arts&Crafts運動」の
精神から名づけています
そもそも、この運動は社会主義革命運動という側面も存在することからこの辺りに触れない展示が多く存在します
19世紀ヴィクトリア朝のイギリスでは産業革命により工場で大量生産された商品があふれるようになった。
デザインは手作業から機械化に向かう中、曲線から直線的なデザインへと傾倒していく、それは有機質的な表見から無機質的な表現が溢れていく
これによって、デザインというものの価値が失われていくように感じられた
そん中、モリスは中世に憧れて、モリス商会(Morris & Co.)を設立
生活と芸術を一致させようとするモリスのデザイン思想とその実践(アーツ・アンド・クラフツ運動)を起こしていく
モリスは社会主義的な社会から、資本主義的な社会への変質が職人から作業人へと変わっていく中で、モノの価値や労働者の価値創造を含めて労働者を解放していくことを考えていたのである
2.壁紙という装飾
モリスはテキスタイルのプリントによる壁紙なども多く残している
いちご泥棒はその最初の方の作品として知られていますが
この作品も単なるプリントではありません
一度、全部を染めた記事から他の色を入れたい部分を抜染をして色を抜いてさらにプリントすることで質感を高めています
モリスは、職人との共同作業によって多くの作品を生み出していきました
対して、壁紙をプリントという手法を多用することによって大量生産も可能にする
それを多様に使って資本主義の権化という人の存在も忘れてはいけません
その名はレヴェイヨン伯爵
この頃の労働者の人権など考えることもなく、不景気になれば際限なく賃下げが行われた時代です
そこでおこった壁紙工場を舞台にした労働暴動事件である
長い冬を豊かに暮らすためにホームパーティーなどをして居住に依存する生活が多い欧州において、そのおもてなしや話題として壁紙を貼り替える習慣が根付いている。しかも、地震が少なく石造が主体の建物であることから、DIYが盛んに行われるようになっています
日本は、室町時代から建物、屋根の下で集まる習慣が高まり、その後、屏風や襖で空間を仕切る日本の設えをもとに、儀式のために使用してきた屏風に絵を描き、襖にも、人を迎えるための装飾を入れるようになってきた
日本は台風が多く、地震がが多く、湿気が多いということと、
土と木に恵まれた日本の国土とそして火山地帯ということから石灰などを利用して
塗り壁などを利用してきた
特に台風は風が吹き込むことで屋根が飛んでしまうことによって建物としての全ての機能が失われるので、これを防ぐために壁をつくらず、襖と障子で仕切り、屋根に瓦で重石をかけるということになっています
その襖の下ばりに不要になった帳簿などを下貼りをして、表面を化粧する襖がながく使われてきました
戦後、焼け野原になった日本では深刻な住宅不足を経験してきた。その中で、早く家を建てるために様々な工夫がされてきた。
塗り壁、土壁、砂壁、漆喰などは後期が長く時間がかかるので、綿壁という紙をわた状にしたモノなどに変わっていく。
その中、旧通産省と旧建設省がイギリスの壁紙の文化を研究し、日本の襖と融合して日本の壁紙が産業としてはじまる
そのころマンションなども経ち始める中、コンクリートで建てる際の表面平滑精度の悪さからモルタルを多用していた中、
昭和40年代後半に石膏ボードが登場し、内装は石膏ボード壁紙工法によって、
急速に乾式化が進み、建築のスピードが大幅に上がった
これには苛性ソーダの増産や火力発電所の増加が大きく寄与している
その結果、今やほとんどが塩化ビニル壁紙が占めている
3.デジタルプリント時代の到来
デジタルプリントによって、装飾の可能性がさらに広がる
デジタルプリントは版が今までのような
木や石や、アルミなどの物理版ではなく
データになり、オリジナルのものが、
一点から作り出す事ができる
しかも、物理版を使用せず、データを
直接出力する事ができる
これによって、自由になってきた
今やスマホすらも解像度が上がり装飾の自由度は無限である
アメリカから写真のデジタルプリントが
大きく広まり、
絵画もタブレットでRGBで描ける時代に入り表現の可能性は大きく拡がっている
これからのインテリアは
作家さんや、クリエイター、そして写真家
さん達のコミニティーとしてインテリアが拡がっていく