麻雀を信じて
麻雀において、「何も悪いことしてないのに負けた」というような台詞を聞くことはたびたびあります。それについてわざわざ突っ込みにはいきませんが、もったいないな、とは思います。
ほぼ全ての人間は麻雀を極めていません。理解していない部分も、理解しているけど実践できない部分もたくさんあるでしょう。つまり、「(自分ではわからんけど)実はこうしたら正解だった」みたいなのがたくさんあるわけです。
それが必ずしも実戦の中で行えるものとは限りませんが(エスパー的な鳴きでツモをずらすとか、明らかに採算の合わない押しとか)、自分より上手い人に見てもらって、説明してもらえば、行えるものも結構あります。そうでない人はすごく強い人なので、うん、このコラムを読む意味はあんまりないでしょう。
話を戻しまして。
何が言いたいかというと、「麻雀をもっと信じていい」ということです。
だいぶ抽象的ですね。
ちょっと具体的に言うと、「あなたから見える麻雀の範囲と、実際の麻雀の奥深さとの間にはだいぶ差があるから、限界を感じるにはまだ(あるいは永遠に)早い」ということです。
煽っているわけではなく。
もちろん私もそうですし、ほとんどみんなそうでしょう。
それが嬉しいことか悲しいことかは、捉え方次第ですが…個人的には大変嬉しいことだと思っています。
実際問題、例えばツモ切り手出しの完全把握、清一色を瞬時に理解、全員の手牌に対する同時完全読み、とか、最期まで出来なそうなことはいくらでもあるので、少なくとも自分が極めるのは無理だと思っています。それはそう。
でも、目を閉じて、麻雀の「ほんとう」の大きさに想いを馳せると、なんだか心が穏やかになりませんか?(当社比)
少なくとも、「自分の(現在の)限界」と「麻雀の限界」を混同してしまうのは、事実とも明らかに異なるし、もったいないということです。
可能性を感じてみてください。
「きっと何かあるはずだ」と探してみると、わりと何か見つかります(限度や勘違いもあるけど)。自分じゃわからなくても、自分より強い人なら何か見つけてくれます。現代は強い人の助けを借りやすい環境になっているので、頼ってみてください。わりとみんな教えたがりな気がします。知らんけど。
もっと麻雀を信じていいよ。