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平沢進『白虎野』の新解釈~脳機能の観点から~


この記事では、平沢進の「白虎野」という楽曲を、いちリスナーが、新しい視点で解釈していきます。色々な用語の説明をしていたら、少々長くなりましたが、読んでいただければ幸いです。

この記事を読む際の注意

①この考察は、GN(ファンクラブ)に加入していない者が書いた考察です。あまり詰められていない点も多いですが、ご了承下さい。

②このnoteは「解説」ではなく「解釈」で、考察の域を出ません。あくまで個人の解釈として受け取ってください。ただしリアクションは大歓迎でございます。一緒に考察を楽しみましょう。

③今回は「白虎野」を中心的に取り扱います。ネットで従来から言われているような解釈とは異なりますので、他楽曲との関連性が薄く、詰められていない箇所が多いです。ご了承ください。

④著作権の関係から、歌詞は全て「引用」の形態を取らせていただきます。そのため、歌詞全文は検索等を行ってください。

従来の考察

 従来の考察は、「白虎野」=「バクホー油田」として捉えるものが主流でした。この記事を見に来るような人であれば、おそらく知っていることと思います。「白虎野 考察」で調べてヒットする記事の大半は、バクホー油田になぞらえた考察ですが、一応ここでも少しだけ確認します。

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 バクホー油田とは、ベトナムの南東にある油田で、別名をホワイト・タイガー・オイル・フィールド(White Tiger Oil Field)といいます。もう直接的に「白虎野」ですよね。バクホー油田を軸とする「白虎野解釈」は、米ソ冷戦の影響ならびに科学主義的問題と大きく関わります。

 はじめはアメリカのモービル社がこの油田の採掘をしていました。石油は見つかりましたが、戦争により南ベトナムは崩壊し、その利権も宙に浮きます。その後、旧ソ連とベトナムの合弁企業ベトソフペトロによって石油生産が開始され、ベトナムの経済復興に大きく貢献しました。バクホー油田は、2002年のピークを迎えるまで、ベトナムを代表する油田でした。

 従来の考察では、平沢はバクホー油田における米ソの歴史を皮肉したものであるとされます。2000年におけるベトナムの対外輸出の上位10か国には、日本(1位)、オーストラリア(3位)、アメリカ(6位)、ドイツ(7位)、イギリス(8位)が名を連ねます。際限なく資源を要求する資本主義体制は、それが達成されるのであれば、たとえ敵の施策によって得られたものであっても、見境なく取り入れます。であれば、先の冷戦によって引き起こされた代理戦争とは何だったのでしょうか。平沢はそうした問いかけをしていることでしょう。

 また、従来の考察に「石油有機由来説」と「石油無機由来説」の対立があります。こちらも平沢も極端な合理主義・科学主義的思考への疑いの様相を見いだすことができますが、ここではリンクの提示に留めておきます。

こちらは、動画内で解説のされているものです。

このスレッドまとめでも、石油の科学的学説の考察がされています。


新解釈の概要~脳には未発見の機能がある~

 本題に移りましょう。ここからは新解釈です。

 ずばり、新解釈のテーマは「発見されていない脳の機能」です。平沢は「白虎野」という曲を通して、人間に本来備わっているものの、未だに気づかれていない機能が脳には存在していることを暗示しています。

 簡単なストーリーはこうです。平沢は、従来の思考様式とは異なる方法で思考する機能が、本来人間には備わっていることを発見しています。その「知られざる機能」は、これまでの思考方法では成し得ない、新たな可能性へと人間を導くために必要な機能なのです。そして、それは多くの人に「気づかれていない」だけで、全員に備わっている機能です。

 手始めに、なぜ脳に注目したのかを説明します。それは、白虎野のパッケージ図にあります。

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 ほら、周りの青い部分が「脳」の皮質のように見えませんか。

 そして、脳の中心から炎が上がっているようにも見えます。

 従来のバクホー油田考察では、このパッケージ図の説明が付きません。なぜ脳なのか。それはこの曲が、脳の機能について歌ったからだと説明できれば、パッケージ図も納得ですよね。ちなみに「白虎野」はアルバムの表題曲でもあるので、パッケージ図に曲のイメージが反映されていても不思議ではありません。


考察開始! 1番~サビ前まで

 さて、「発見されていない脳の機能」という視点から、歌詞を解釈していきましょう。

遠くの空 回る花の円陣の喧(かまびす)しさに

冒頭から申し訳ないですが、この部分は後で解釈することにします。しかし、後から見れば「なるほど!」と思えるはずです。

あの日や あの日に 越えてきた分岐が目を覚ます

キーワード①「分岐」

脳機能の視点で解釈すると、「分岐」とはニューロンのことではないかと言えます。

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ニューロンとは、神経細胞のことで、脳内ではニューロンが無数に絡まり合って、電気信号を送り合っています。その結果、人間は知覚し、思考することができるのです。

我々の「知覚」「思考」はニューロン間の神経伝達物質のやり取りで行われています。ここでの歌詞は、これまで私たちが感じ取ってきた「知覚」や、行ってきた「思考」を表現しているといえるでしょう。

高台に現れた 名も知らぬ広野は陽を受けて

ここでも脳機能の視点から言えることがあります。それは、「広野」という言葉です。勘のいい人は、これから何を言おうとしているか、予測がついているでしょう。

特定の機能を持つ脳の箇所は、医学用語で「~野」と言われることが多いです。言語を発する能力は「ブローカ野」で、言語を理解する能力は「ウェルニッケ野」で行われます。このように、脳の機能を持つ場所を、「~野」と表現するのです。つまり、ここでの「広野」も何かしらの脳機能を表していると考えられます。

その脳機能は「名も知らぬ」、つまり知られていない機能です。

またそうした知られていなかった機能が発見されている様子が「陽を受けて」という言葉で分かります。

来る日も 来る日も 幾千の分岐を越えた時

ここでも「分岐」が出てきましたね。先ほどと同様の見方ができます。

ノンラーの賢人が 捨てられた道を指して

「捨てられた道」とは、知られざる脳の機能が見つけられなかったことで、これまで見過ごされてきた様々な可能性のことを表しています。

そうした可能性を「賢人」が指摘していることも重要です。『Town0-Phase5』という楽曲でも「賢者」という言葉が出てきます。この「賢者」は、多くの人の常識に反することで不遇な扱いを受けています。Town0-Phase5の賢者は、狂った民衆のおかげで、飛び降りる(=死にさらされる)ことになります。

海沿いに 海沿いに 見も知らぬ炎を躍らせた

キーワード② 海=「海馬」

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脳機能の視点から、「海」という言葉からは「海馬」が導かれます。海馬は、記憶を整理し、記憶を貯蔵する大脳皮質へと伝達する機能を持ちます。ここから次のように解釈できます。

海沿い=海馬周辺=大脳皮質


キーワード③ 炎・火

「炎」や「火」という言葉は、白虎野の中で頻繁に登場します。先ほどの「分岐=ニューロン」という考え方と照らし合わせて、ここでは次のように解釈します。すなわち、

火・炎=ニューロン発火=知覚や思考

「ニューロン発火」とは、ニューロン間で神経伝達物質が受け渡しされる際に起こる現象です。私たちは、何かを感じたり、考えたりするとき、ある特定のパターンに基づいて、ニューロン発火現象を起こしています。新しい知識を得たり、新しい感覚を得たときは、新しいタイプのニューロン結合において、ニューロン発火が起こるのです。

ちなみに「てんかん」という症状を聞いたことがあるでしょうか。これはニューロン発火が異常に・過剰に起こることで引き起こされます。

さて、これらのキーワードに基づいて解釈をしてみましょう。脳の知られざる機能に気づいている平沢(または歌詞中の「賢人」)は、脳内(大脳皮質)にて新たなニューロン発火を起こしている、「見も知らぬ炎を躍らせ」ているのです。

1番の歌詞は、全体として「脳の知られざる機能の提示」がされています。私たちはこれまであらゆる可能性を捨ててしまった。もし脳に眠る「知られざる機能」に気づいていれば、今とは違った姿があったのかもしれません。


サビの解釈!~脳の知られざる機能が示す展望~

 サビには脳機能に関するワードがたくさん登場します。どんどん見ていきましょう!

あぁ マントルが饒舌に火を噴きあげて

これはまさに、パッケージ図を表しています。

「マントル」とは、惑星のコア(核、中心部)の外側にある層のことです。そこから饒舌に「火」(キーワード③を参照)が吹きあがっています。その火は当然、コアからの火でしょう。

脳のコアに当たる部分には、「視床」と呼ばれる箇所があります。

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視床の説明をする前に、少し脳の構造について話させてください。

人間のような高等動物は、身体に対してかなり脳が大きいつくりになっています。知能が高くなるにつれて、脳は大きくなっていくのです。これは「大脳新皮質」(脳の外側の、柔らかそうなところ)が、どんどんと厚くなっていくことに由来します。大脳皮質は進化的に見て、新しい脳の構造であり、そこでは思考、とくに合理的思考が担われています。

話を戻します。「視床」は、嗅覚以外の感覚を、大脳新皮質へと伝達する重要な役割をもっています。視床からの伝達で、私たちは痛みを感じたり、感情を感じたりするのです。

歌詞を解釈するとこうなります。すなわち、知られざる機能に気づいた人間は、脳の中心(視床)から新たな火(ニューロン発火=思考)が出ているのです。

捨てられた野に立つ人を祝うよ

「野」という言葉は、「広野」(キーワード①を参照)の部分で確認したとおり、脳の機能のある場所を指していると思われます。「捨てられた野」とは「知られざる機能のある場所」のことでしょう。ここに立つ人、つまり知られざる機能に気づいた人の持つ思考様式は、その本人にとって良いことをもたらす(祝福する)のです。

ちなみに「祝福」とは、キリスト教において「他者への親愛」でもあります。『Nurce Cafe』などで平沢が歌う「隣人の愛」もキリスト教の用語なので関係がありそうです。新たな思考様式によって、他人を排除・差別・蔑むのではなく、親愛を気づくことができる可能性がひらけるということでしょうか。

あぁ 静かな 静かな娘の視野で

「視野」という言葉が出てきました。これまで出た言葉との関連性をまずは示します。

視床は視覚にも影響します。視覚情報は、視床によって大脳新皮質へと伝達されます。

また海馬の近く(後方部分)には、視覚野があります。視覚野は後頭部の辺りにあるのですが、実は視覚情報は2つの経路に「分岐」するのです。

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視覚野は、「背側皮質視覚路」と「腹側皮質視覚路」の2つに分かれます。ここで、白虎野のパッケージ図を思い出すと、空間認識をおこなう「背側皮質視覚路」の辺りから炎が上がっているのが分かります。この点が意外と重要です。

あぁ 見知らぬ都に火が燈りだす

脳の知られざる機能に気づいた人は、自らの新しい可能性に気づいています。そうした人々の生活(生活空間としての「都」)は、確実に営まれているのです。そして、そうした機能に気づいていない人から見れば、そんな生活(都)は「見知らぬ」ものでしょう。

ちなみに平沢は「ピタゴリアン」を自称しており、菜食中心の生活を送っています。平沢の環境への関心については、『Hirasawa Energy Works』というプロジェクトを調べてみてください。2000年代初期においては、かなり先駆的な取り組みといえます。皮肉にも2004年の愛知万博では「愛・地球博」として声高に「エコな生活」が叫ばれました。(ここで「皮肉にも」といった理由についても、プロジェクトを調べて頂ければ分かるかと思います。)

話が脱線しましたね。歌詞の解釈を続けます。

「娘の視野」で言及される「娘」も、以上の考察から、脳の知られざる機能に気づいた人であると言えるでしょう。そして、この「娘」は「アオザイの娘」と同一人物です。彼女らは、脳の知られざる機能に気づいていない人とは、空間認識が異なります。

ここには、平沢のこれまでの楽曲に特有の、人間に対するマクロの視点とミクロの視点が見られます。

「マクロな視点」とは、人間の生活を広く見渡したような視点です。アルバム『救済の技法』などは、その代表例でしょう。マクロな視点では、脳の知られざる機能によって変容した生活、人間観が示されます。

「ミクロな視点」とは、人間の内部をみる視点、つまり生物学のように人間をみようとする視点です。P-MODEL時代の『CHEVRON』は分かりやすい例ですね。比較的最近のアルバム『回=回』のパッケージは、細胞を表現している点で、一例と言えます。マクロな視点では、脳の知られざる機能の存在の暗示、脳の空間には発見されていない空間があることの暗示がされています。

こうした「娘」による空間認識が明らかになると、解釈できる歌詞がさらに増えていきます。娘の指し示す「吹く風の道」「名も知らぬ広野」「夢で見せた街」「見知らぬ都」には、脳の知られざる機能がある場所、またはそれによって変容する私たちの「生き方」のビジョンのようなものが表現されているように思えます。

サビでは、脳の知られざる機能に気づくことで得られるビジョンが強調されています。そのビジョンは、現状に苦しんだり、本来はある可能性を否定したり/されたり、他者に認められない私たちに「こっちへこい」と誘うように呼び掛けているのです。だからこそサビなのです!


2番の解釈!~目覚めた人々は~

 2番の歌詞は全体を通して、脳の知られざる機能の発見をするような情景が描かれています。ここまで読まれた方は、2番のほとんどの歌詞を無理なく解釈できると思いますので、重要なポイントを特に書いていきたいと思います。

高く空朱に染め あの昇る炎の奇跡には

「炎」はキーワード③で確認しましたね。

あの日や あの日や あの時に無くした道宿し

「無くした道」などは、娘の指す「道」や賢人の指す「道」と同じく、これまで見過ごされてきた「可能性」のことでしょう。

アオザイの裾を吹く 風を追い 坂を下り

アオザイを着ている娘が、脳の知られざる機能に気づいている様子が分かります。今回は深く踏み込みませんが「風」という言葉は平沢の楽曲『祖父なる風』『HUMAN-LE』などでも登場します。それと関連して「船」なども重要ワードだと睨んでいます。

川沿いに 川沿いに 見も知らぬ至福の花を見た

気づいた人にとって、または平沢にとって、新しい思考様式は定着しきっています。それが「川」という表現から分かります。「知られざる機能」を担う脳(〇〇野)の箇所におけるニューロンの結合はもはや当たり前のもとなり、その間を流れる神経伝達物質は、川のように安定的かつ強固に伝達されているのです。しかしここでは更に重要なワードがあります。

キーワード④ 花

「川」が、知られざる機能のニューロン結合だという解釈をしました。すると、「川沿い」は、そうした機能を担う脳の場所を指すことになるでしょう。川沿いには、「見も知らぬ至福の花」があります。

このことから「花」は、脳の機能そのもの、思考様式を指すと言えるでしょう。「至福の花」とされる機能は平沢にとって望ましいものですが、多くの人が気づいていないものです。またこの機能は、見過ごされてきた可能性を見いだし、他者への親愛を築くことのできる、まさに「至福」なものなのでしょう。

ここにきて、冒頭の歌詞を解釈することが、ようやくできます。

遠くの空 回る花の円陣の喧しさに

冒頭に出てくる「花の円陣」とは、これまでの思考様式、つまり「気づいていない人の、限定された脳の機能」であることが分かります。従来の思考様式が「喧しく」(かまびすしく/やかましく)働いているのは、気づいた人(娘または平沢)にとっては、「遠くの空」つまり今・私とは遠く離れたことの出来事だったのです。また、気づいた人たちは私たちから見て遠くの空の下にいることから、現状からの離脱を促しているとも言えます。

これに続く次の歌詞

あの日や あの日に 越えてきた分岐が目を覚ます

では、「越えてきた分岐」すなわち「行ってきた思考」を省みている様子が見てとれます。ここから、これまでに解釈してきたように、気づいた人(アオザイの娘)が、知られざる機能を提示していくのです。

ちなみに今年7月末にリリースされた平沢の最新アルバム『BEACON』に収録されている『燃える花の隊列』では、あからさまに「発火する花が咲く圧巻の夜」と歌われていますね。奇しくもこの解釈に適合するように思えます。

おわりに

 「知られざる脳の機能を歌っている」という仮説の下で解釈をしてみましたが、案外納得できる点も多かったのではないかと思います。最近の平沢のTwitterでも言われている「思考習慣のデトックス」「健全な回路による思考」というモチーフが、白虎野の時期からあったかもしれないのです。

またここでの解釈は、常識の思考から解放し新たな視野を開くという点において、従来の解釈を重なる点も多いです。そして、ここで示された思考様式が、必ずしも「合理的思考」ではなく、人々の可能性を否定せず、むしろ歓迎し新たな世界を生み出す原動力となるのだとすれば、さらにこの歌の深みが増していくような気がします。

知られざる機能は、一体私たちの脳のどこにあるのか。

おそらく「白虎野」にあるのでしょう。

長々とお付き合いいただきありがとうございました!

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