ギャップイヤー・①無職オーストラリアに行く
仕事を辞めた。当時28才
転職も考えたがせず、自分は海外に行くんだと漠然と考えて次の仕事を決めないまま辞めた。
無職と自己紹介するのはカッコ悪いと思い、フリーの方が仕事を見つけるサイトに登録し、一言文章や、キャッチコピー作成の仕事に応募してみた。
自分は無職じゃなく、売れないコピーライターだというために。
東京で気が張っていたんだろう。今なら明るく無職ですと言える気がする。
海外に行って生活するにはどうしたらいいか、漠然とワーキングホリデーということは知ってはいたので、最悪どうにかなるだろうと思っている自分がいた。
とはいえ、当時はヨーロッパへの憧れが強く、どうせ住むならヨーロッパだろうと思っていた。イタリアやイギリス辺りがいいと色々調べて動いてみたがうまくいかず、これはまずいと、とりあえずオーストラリアに方向転換しビザ申請する事にした。
とりあえず、オーストラリアなら簡単に行けるし行って考えようと安易に考えていた。行き先はシドニーだけは無いなと勝手に考えていたのでそれ以外の主要都市で考えた。
結果的にはGoldCoastにした。理由は東京からの直行便があったことと、数年前に辞めた会社の先輩が、英語の勉強をしていた時に出あった子がすごい綺麗でゴールドコーストに留学する、と言っていたのを思い出したからである。安易な理由であるが、当時は東京に住んでいたし、都市部に行くのも変わり映えしないなと考えたのだろう。ちなみにゴールドコーストは物価も比較的安めで過ごしやすいしオススメである。また、短パン族の自分にはもってこいの場所だった。
行き先を決め、ついでにせっかくだから英語の勉強をしようと語学学校に申し込んだ。留学である。社会人になっても行けるもんなんだなと、申し込む際に思ったものだ。留学はいつしても遅いことはないのだろう。ゴールドコーストの中心部は避け、日本人比率が少なめの学校を選んだ。他の学校より日本円で何万円か高かったが、学校を選ぶ基準はお金じゃなかろうと思い、ケチのくせに候補がいくつかある中で高い方の学校を選んだ。結果的には今も続いて仲良くしてくれる友人達もいるので正解だったのであろう。
次に航空券を取った。語学学校の入学が月曜だけの為その数日前に着く必要があった。値段とタイミングを考慮したところ、確保できるオーストラリアへ向かうチケットはある日だけだった。
そう、私の20代最後の誕生日。
20代最後の誕生日を日本で迎え、20代最後の一年を海外で過ごす。
なんか、カッコいいなと思った。
20代最後の一年。
私のギャップイヤーの始まりである。