12月26日〜30日のブランク
タイトルにもあるとおり、この5日間の空っぽ感が子供の頃から大好きだ。意識としてはずっと捉えられていたが、言語化するようになったのはここ数年だ。
この期間は何をしてもいいし、何もしなくてもいいのだ。世間のイベント事はその99%が幕を閉じ、新たな年の始まりに皆が胸を躍らせ、スポンジがいくぶんパサついたクリスマスの残り香のようなケーキを食べ、大晦日のテレビ番組をチェックしてザッピングの予定を立てる。
「何もないからつまらない」と言う方もいるだろうが、自分に言わせればそれこそが至高だ。何もないことを観測できる、唯一の5日間だ。もっとワクワクしていい。
考えてみると、一年を通して僕たちは世の中に吹く資本主義の旋風に「あれをしろ、これをしたほうがいい、次はそれね」と色々な圧をかけられてしまう。
街では何かの飾り付けが終わるとすぐに次のイベントの飾り付けがセッティングされ、せわしなく購買意欲を煽ってくる。節分やイースター・土用の丑の日・ハロウィンなど、お前それ元々日本にあったのか?あったとしたらいつからだ?てか本当に伝統か?と言いたくなるような、空白を埋めるためのイベントをねじ込み、買い物カゴを常に埋めておきたいらしい。
この流れは資本主義としては正しい姿勢なんだと思う。それに、日本が持つ素晴らしい「四季」という素材を懸命に料理した結果だと思う。
ただ自分は、ちゃんと空虚を感じていたいし余白を味わいたい。終わりと始まりを意識したい。欲望のベクトルを再確認する時間はたっぷりと欲しい。フルコースが全部メイン料理では胸焼けもするし。
程良く「無い」ことで、「在る」ことの輪郭がかえってクッキリと浮かび上がるのだ。逆に言うと全てが在ることで、いずれ全て無くなってしまう気がする。
自分がこの5日間を大好きなのは、この5日間以外もちゃんと世界を好きでいるための大事なステップだからだ。日常にクッキリと浮かび上がるものを見逃さないように、空虚を味わうのが好きだ。
「在る」と「無い」の狭間のこの5日間で、毎年そんなことを考えていたりする。