多くを持ちたくない話
生きているとたくさんのことが付随してくる。
それは衝動買いの産物などの物質的なものから、誰かの配偶者であるとかパートナーであるとか上司であるとか目に見えない精神的なもの(立場や役割)まで多岐にわたる。
これらを喜びとし、できるだけ多く大きく持ちたい人もいるんだろう。
でも自分はできるだけ持ちたくない。
それは常に身軽でいて責任を負わされたくないという逃げの部分も大いにあるけど、余白を残しておきたいという将来的な投資でもある。
物質的な話だと、「欲しさ」に従順になりすぎてたくさん買ってしまって部屋にアレコレ散乱するのが嫌いだ。どれだけ綺麗に収納して整頓されていても、それは自分にとって散乱を意味する。
どれが自分に必要か必要じゃないのかの境が曖昧になってしまい非常に混乱するのだ。
本当は必要ではないものまで、必要だと思いこんで修理や買い替えに奔走するなんて愚の骨頂だ。
これは精神的なものにも同じことが言えるんじゃないだろうか。
裸の自分に必要なものか、今日の自分にも本当に必要なものかよく考えてみると何か分かるかもしれない。