流石に無料でなんでも楽しまないでほしい
今回言いたい事はこっちに書いてみた。
なんだか加工によって色が同じようになってしまったのでヌード扱いにされてしまったらしい…確かに上は着ていないのだが布団掛けてあるしデリケートゾーンは完全に見せない方向性なので見えていないのだが…
この自撮りを始めたのはいつでも死にたい自分を記録するというのが主目的であって露出目的ではない。当然男性に向けた性的なおかず的ものとしても撮っていない。
のだがしかし、あれこれ調整したりだの時間はかけているのであって何故か創作活動のアカウントのフォロワーが自撮りだけをいいねするようになってきて「ん?なんか違くないか?あなたは私の作品のファンではなくて?」となってきた。正直自撮りだけいいね勢はブロックしたいのだが、「じゃあ顔出しするな」という話にもなるので、いや私はもう顔は出すんだよっていうか自分を抑えるのはやめたんだよということである程度仕方がない。
のだがただ見は基本はやめてほしい。
他人がただで楽しむために私は私の苦しくきつい人生を晒しているわけではない。
私が私の人生を晒すのはある種のプロモーションの一環でもある。
いや真面目に本当にどっちも興味あるなら課金してくれる!!??
という話になってくる。
だってどちらにも時間をかけているし適当にやっているわけではない。
私は私の人生を適当になんてやっていないのだ。
暇つぶしの人生なんて私にはない。存在していない最初から。
そして私の人生の一部を覗くならガチで覗きにきて頂きたい。
それは私の我儘だが私はその我儘の分は面白いことしかこの先では
しないよ?その過程すら面白おかしく見せてやるよ、という人間をやりはじめて進んでいる。
私のパートナーは度々私に言う。
「あなたはブレーキがぶっ壊れている人間だから、時々そのぶっ壊れているブレーキ代わりになる人間が必要だ」
と。
しかし私はもうぶっ壊れたブレーキでいいのだ。
ブレーキはもういらない。こんなもん捨てて何処までもすっ飛ばしてやる。
昔、教習所ではブレーキを踏みがちで「ブレーキを踏みすぎだ」と
そこそこに注意された。
しかし学科も実技も一切躓くことなく私は仮免の手前で希死念慮が酷くなって半年教習所通いをいきなり放置しても半年後にいきなり運転して一発で仮免とってしまうような人間なのだ。(だからつまり自動車免許は一切ひっかかることなく取得した)
めちゃくちゃでもやってきた。私のめちゃくちゃさエピソードは数多くあるが私は生きているし私を大切に想ってくれる人もいるようだ。
それは私がめちゃくちゃだからどうしても気にせずにはいられないのかもしれないし
あまりにも無謀で見てないとこいつはやばいと思われているだけかもしれないがそれでいいのだ。
だってこの人生に何の意味も持てないなら他人に私という人間の生きた足跡みたいなものを残すしかないのだ。
私は私の希死念慮しか信用していないなら
私の生きてきた事実は他人に証明してもらうしかない。
「あなたは確かに生きて、あなただったよ」
と他者を介して私が生きていることを実感するしかない。
私はそれでいいのだ。
ぶっ壊れたブレーキをぶん投げる。
こんなものはいらない。
そして好きな場所へ行く
好きな人を好きになる
好きな人を私は「あなたじゃなきゃ嫌なんだ」と狂わせる
そんなぶっ壊れた生き方をしたい。
それしかもうしたくない
ということで何でもただではない
私の愛はただではやらん!!
春には新しい本も出すし
花が咲き乱れる季節に私も咲き乱れ始めよう