好きになった人のことを「好き」って言えばいい
肯定が存在するということは否定が確実に存在する
厄介な世界だなと思う。
しかし命はひとつ、この人生に巻き戻し機能はない。一度きり。
一度きりの中で狂おしい程に特定の人間に惹かれるなんて両手で数えられるくらいしかないだろ
いや、もっとないのか、
それとも、両足の指使わないといけないくらい惹かれまくる人もいるのかどうなのか…
締め切りがあってこんな記事を書いている場合ではない!!!!!
のだが大事だというか
この手の記事は一度書き残そうと思って下書きのままになってしまった。
私は定期で冗談のように「彼女ほしい」と今は青い鳥が去ってしまった場で呟いているが私自身は全性愛者(パンセクシュアル)である。
初めて好きになったのは三歳くらいの時に同じ園に通っていた女の子だったが、ドラマでもアニメでも女の子や女の人が好きになるのは決まって男の子や男の人だった。そして自分自身の父親は男であり、母親は女だった。
「おやおやこの気持ちは誰かに話してはいけないことらしい」
と三年くらいしか生きていない人間でも察してしまった。
いや、こんなこと察してしまわない社会であってほしかったと思う当時から。
その後も同性を好きになることもあり、異性も好きになることもあり、
私は偶々異性のパートナーと人間的に相性が良く互いに尊敬しあい安心しあい今の日本社会の制度上、婚姻関係であるほうがいざという時に不便がないという理由で結婚というものをすることにしたので日本が事実婚と結婚に差がない国だったら婚姻届けは出していないし
名前も変わっていなかっただろう。
そんなわけでこの生まれた国の制度は他の国より国民に優しくないなと思うが私はこの国は今後も大して変わらないのだろうと半分諦めてしまっている。
それは私が結局異性と結婚し、子供を産んで大多数と同じ枠組みの中で一見守られている側だからだろう。
でも共に生き続けたい相手が同性だったらずっとこの国で正式に認められないという事実に悲しいままだったりしたのかもしれない。
と色んな想いがあってこれを書き残す。
常に「あの人はもしかしたら同性の事を好きなのかもしれない」とか全ての可能性を想像しながら接したり、自分の子供も実は私のよう同性の子に既に恋心を抱いているかもしれない、というのもやはり考えたりしている
誰かにとっての恋や愛がきちんと守られてほしい
人を好きになるなんて本当はとても難しいのに
それでも惹かれてしまうのだから
恋や愛が究極の「奇跡」なのかもしれない
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