生産者視点の極みにふれた気がする訪問でした ~先入観を持たないことの大切さ~
ほくさつマグマです🙂
「▢▢になったら、○○になるだろう」という予測や期待を持つ。私たちにとって日常的なことですよね。
「▢▢になったら」の「▢▢」の部分は、変化を生むための条件のようなもの指します。その条件は、「先人達の言い伝え」「個人の経験による勘」「科学的な統計」などによって確立されているものだと思っています。
例えば、「6月になったら、アジサイが見頃になるだろう」という予測や期待は、「言い伝え」「個人の勘」「科学的な統計」のいずれにおいても高い精度で確立されていますよね。
ところで、ポツポツと小さな雨が降る中、生産から食品加工まで行う薩摩川内市樋脇町の事業者さんを訪問し、生産や食品加工について多くのご教授を受けてきました。
それらに関する知識が乏しい私たちには尚さら価値あるもので、メモをするその手は止まることを知りません。A5サイズノート2P分があっという間に埋め尽くされました。
そのお話の中で「生産者視点の極み」とさえ思えた内容がありました。
冒頭のアジサイを例に説明させてください。
例えばですが、もし3月にアジサイが見頃になったとしたら、それに対してどのような印象を抱きそうですか?
私だったら、「3月に満開になるこのアジサイは何かおかしいのかもしれない」とか、「これって本当にアジサイなのかな?」とか、「異常気象による影響なのだろうか?」ということを考える気がします。
これは、「6月になったら、アジサイが見頃になるだろう」という確固たる予測があるからでしょうね。この予測というのは、時には「先入観」とも言い換えることができるかもしれません。
タイトルにある「生産者の極み」とは、この先入観を持つことなく「ありのままにその現象を観察する」というものです。
「3月に満開になるこのアジサイはおかしい」と私が思ったとしても、「暦」という概念が存在しないアジサイにとっては子孫を残すことを最優先事項として咲くべき時に咲くだけのことです。
「例年6月が見頃なんだから6月に満開にならなくっちゃ!」のようなファンタジーな世界は存在しません。
この時の私が「アジサイは6月に見頃になる」という先入観を持つことなくありのままにアジサイの開花を受け入れることができるのであれば
「なぜ3月にアジサイが咲くのか?」ではなく、「なぜこのアジサイは今この瞬間に咲いたのか?」とその理由の本質に迫ることができるような気がします。
そうなれば、不測の事態に対して必要以上に不安になることもなく、平常心を持って自身の目的を達成する行動を選択することができそうです。
先入観を持たないことの必要性を耳にする機会は少なくありませんでしたが、「生産者の極み」とさえ思えた今回の話のそれでは、その先入観の含まれる対象のスケールの壮大さに頭をガツン!と叩かれた気持ちになりました。普遍概念さえも対象となるそのスケールに。
食品の生産加工に関する知識習得だけではなく、このような気付きも得る機会を提供して頂いた事業者さんにはただただ感謝するばかりです。貴重なお時間を本当にありがとうございましたm(_ _)m
ジブリの世界を感じる素敵な場所でもありましたよ😊
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